Shingo Tokihiroのおしゃれ旅情

第七回
振り返る美しい時間、うつくしい人、そして生命

 2003年が明けました。

 嘘のように忙しく、旅に旅を重ねていた。空を山を海を平野を巡りながら一つの旅を終えるごとに、コロン、カランとわたしの心に宝石が転げ落ちてくるのだった。時間と出会いが万華鏡のような輝きを放ってそのどれもが、目に見えない美をたたえていた。そのいくつかを思い出すままに書き綴ってみよう。  新しい年の旅が始まる前に。

命を巡る金色の光と清冽な風について
さあ、眠りなさい
私のいとしい子
ミルクの匂いの可愛い子
歌ってあげよう
北の国の妖精たちの 不思議の呪文
一生 パパと呼ばれない男が
生命と引き換えに授かった天国の階段の
美しい名の歌さ
眠りなさい優しい子よ
いつまでも、平和のぬくもりのなかで

中空 一
「わが子よ」

 新しい生命が私と妻のもとへ訪れてきた。4月4日。私という命が存在をかけて守り抜いていきたいと願い、祈る存在が現われた。みどり児の名は顕。私を妻を永遠の世界へつなげてくれた。私の中の何かが変化している。世界をみつめる自分がいた。

ウトゥワスカラプ
 アイヌ語で「互いに愛し合い、信頼し合う」という意味。この師走26日。東京・三軒茶屋のシアタートラムでひとつの世界が創造された。鼓童のメンバーで舞の名手、小島千絵子さんを中心に圧倒的な美しさで目に見えないものが目に見えるものを凌駕できることを教え証明をした舞台だった。加えて霊妙なる調和が奏でる音と光と空気。どんなに詳細を記しても、その場にいた者でしか理解できない。あの時空はなんだったのだろう。自画自賛のように思われるかも知れないけれど、あの舞台でどれだけの多くの人たちが救われただろうかと思う。舞台は多いけれどあのように高潔さを漂わせた舞台は珍しいのではないか。

 みんなの思いがひとつになっていて、会場に入った途端それがわかったという人もいた。トンコリの演奏者OKIさん、パーカッションの渡辺亮さん、照明の岩村原太さんにヘアー&メイクアップの小沼美奈子さん。鼓童の若手二人。たった一回の舞台。豪華、贅沢、スペクタクル、華麗といった俗的なものの彼方にある文字通り、「愛し合い、信頼し合う」ことでしか生れることのできない原点が美を伴ってそこにたたずんでいた。

黒龍は闇か光か・・・
 「ねぇ、見てあそこ!」長岡から柏崎へ向かっていた私たち。峠をこえて、視界が開けて柏崎の海が見えてきた。突然の冷え込みで海の温度が高く、荒れ狂いながらも海面からは霧が立ち上っている。

佐渡が島から
舞踊家の大場メグミさんが後ろの座席から指差している先。日本最大の原子力発電所の突き出た場所から、まるで何匹もの龍が空に立ち上っているようにみえる。幻のようにあっという間に消えてしまったが、その光景に出会わせてしまった私たちは一瞬、沈黙した。その日、例年より早い寒さは地元の人でさえ驚くほどだった。それから、今夜の会場である勝願寺へ。すでに冷たい雨に降り始め、リハ−サルの頃には暴風雨。大場さんは「龍が暴れているわ。凄いよ!」と豪快に笑う。この寺の周りと上空を黒い巨大な龍がのたうち回っているようだ。それほどの風と雨、加えて恐ろしい寒さ。ご住職いわく、本堂は特に寒いとか、なるほど。観客はもうあきらめようと考えていた私たちの予想を裏切って時間近くなると、高齢の方々が次々と集まってこられ、それから若者達もと結局80名近くとなった。東京では関心さえなくなった檀家制度。私はかつて京都の東本願寺の建設に使う太い柱を引く強い綱が無く困っていた時、北陸,東北の篤信な女性達が髪を編んで綱とし、無事に工事がすすんだという逸話を思い出していた。本尊の安置されている祭壇の背後から黄金の仮面をつけ、佐賀錦のガウンをきて現れた大場さんの姿を見たとき、この場所が現世ではなく聖別された楽土に変わったように思えた。彼女自身も仮面の小さな目から見たとき、全てが黄金に煌いていたというのだ。叫び声をあげ本堂の雨戸を打ち震わせ荒れ狂う風、雨。そして平安な光の中の堂内。知らず私は八俣のオロチを連想していた。果たして龍は怒っているのか、それとも喜んでいるのか。その夜のテーマは「神話伝説」。寺を辞する時、雨も風も止んで、むら雲のかなた高く、凍星がいくつも輝いていた。

 2002年は2001年よりも不可思議な経験をしたものです。わたしに仕事を依頼してくる人たちのテーマが、なぜか宗教性をおびた内容のものが多いのです。古代のものから、仏教であったり、キリスト教的であったり、あるいは単に祈るという行為であったりします。しかし共通していることは、高い精神性をもとめていこうとする高潔さがあるということでしょうか。私は不条理にあふれかえるこの世界を哀しみにたとえます。私の主催する4つの花の会vol.2「幻聴」で、魔界の女房が「滅びるものは滅びるがいい」と言い放つ。けれど天界の母親は「人間は必ず幸せになる運命にある」と説きます。どちらも私の中にある世界観です。生れてしまったこと。生きていること。生かされていること。私は「美」を追い求めることで答えを見つける旅の途上にあります。2003年、時広がどのような世界を旅行してゆくのか、楽しみに御覧ください。もし、このままいくと危ないと思われたら、どうぞメールでナビゲートしてくださいませ。