Shingo Tokihiroのおしゃれ旅情

第九回
得鳥羽月 花嵐の静寂に、夜

 夜です。昼間あれほど優しく誘うように、愛撫するように街を吹いた風が、今はほころびかけた桜花のつぼみを散れよとばかりに弄ります。

 この部屋は静かです。ここまでは戦いの音は聞こえてきません。海に面した酒田の町の少し奥のはいったところの小さな家。わたしは風の音を、花枝がしなる音を聴いています。

 庄内の広がる田園風景は、低い山並みに囲まれています。黒い緑の杉やひのきの林と一緒の落葉樹の林は、老女が春の陽射しにホッと笑ったときの吐息の色で、煙って見えます。ああ、春の気をこの空に撒き散らしているんだとわかります。その山々の向こうにこの世とは思えない月山の雪白の姿は観音様のようです。目を左に転じると夢のように鳥海山がこれもまた汚れない白雪に覆われています。わたしは真っ直ぐなあぜ道を、あてもなく歩いています。空からは雲雀達の連祷がふりそそいできます。
うす曇りのもう冬の暗さがない空からはポツリと気まぐれに降ってきたりします。見回す田園に人影はありません。道には名も知らない星のような花たち、ふきのとう、それにうつぼ草の一種でしょうか日を経たイチゴジャムの色した花達が咲いているのです。なーんにも考えず、こころだけは明るく透明になっていくのがわかりました。幼いわたしと現在の私。一緒に歩いています。それが幸せでした。

 さっきまで、ドアを叩くほどに激しかった風は、何処かに行ったのか、急に音がしなくなりました。        待って下さい。いいえ、今度はもっとたくさんの仲間達を連れてやってきたようです。目を閉じて聞いていると、聞こえてきます。遠くの木立からこっちに走ってくるかれらのざわめきが。しかし、となりの部屋で可愛い寝息をたてて眠っている幼子は起こさないで。では、風たちの話を聴いてあげることにしましょう。夜、平和への祈りが立ち上って、風の子たちが胸に受け取り四方へと運んでいきます。

(山形県・酒田市)