Shingo Tokihiroのおしゃれ旅情

第十四回
鳴神月 四題

揺らめきながら上昇してゆく縁のリボン

思いつくままに


結婚衣裳を着た新郎新婦(中央の友人が着ているのは、マレーの正式な男性のフォーマル衣裳)


お色直しは白い衣裳で

 結婚式の会場についたのは、炎天下の頃。新郎はマレーシア、新婦は日本。つまり国際結婚だったわけです。会場はランカーウェイ島にある新郎の実家。けれど、村祭りではないかというほどのひと、ヒト、人。玄関前では赤と金の華やかな民族衣装を着た二人の前で、日本でいう演武を披露していました。けれど、彼ら二人は片手に携帯電話をもって・・・・・。というのも、私たちや日本からの参加者との連絡をとるためなのです。大きなテントがいくつか張られ、その下では入れ替わり立ち代り人々が食事をしていきます。新郎はイスラム教徒ですからお酒は出ません。つまり、酔った挙句の乱闘騒ぎはないんですね。こちらでは、結婚は村のあげての大イベント。ましてや嫁が遥か海の向こうの日本からきたのですから。一時は地元テレビ局の取材まであるのではと噂されるほどの話題だったのです。庭では男達が料理と洗い物を担当。女たちは(農協の婦人会のような方たち)給仕をします。私たちは日本からの客人ということで早くもテントに招きいれられて食事がでます。室内では天蓋が飾られて赤から白にお色直しした二人が、王子と王女のようにひな壇に座ってそこに挨拶をしにやってきます。花嫁のドレスは日本の白い綸子です。

 そうそう何故私が、この結婚式に参加してるのか。花嫁の九貝京子さんは1月にワークショップでクアラルンプールを訪れたときの通訳。偶然にTHE ACTORS STUDIOプロデュースの「RASHOMON」の衣裳を依頼されて2月に再び現地へ行くことになり、それでは!ということで日程を調節したのです。彼女とは大変意気投合してしまい、よくいう[始めて会った気がしない]一人でした。彼女のフィアンセのアートさん(本名:AZHAT BIN AHMAD)もまた朴訥でこまやかな心の持ち主。因みに彼女は結婚を機にマレーの国教であるイスラム教に入教し、名前がATIGOH KYOKO KUGAIになるのだとか。

 日本の田舎の飾らない結婚式を思い起こさせるのでした。物のやりとりや形式ではなく、単純に結婚を喜ぶ。多くの人とこの喜びを分かち合いたい。本当にお祝いでした。同時にその土地に受け入れてもらう儀式でもあるのでしょうか、ただやってきて食べて帰っていった人たち。それでいいじゃないというおおらかさ。アートさんの純朴で優しそうだけれど強さを感じさせる母親、真面目に生きてこられたのがわかる父親。九貝さんの父親は外国に嫁ぐ娘への心配を押し殺したような、自分にいい聞かせるような雰囲気があり、母親はあまりの賑やかさに雰囲気にすこし茫然としながらも、やはり娘に対する様々な想いがよぎるのでしょう。「娘をよろしく御願いします。」の言葉に万感の想いが波打っていました。そこに時代も場所も越えた親の子に対する愛情をあらためて知らされるのです。父と母の世代には考えられなかったことを若い自分の息子、娘が実行している。時代が進むとはこういうことを言うのかもしれない。ひょんなご縁で私がここにいる不思議さとおもしろさ。強い陽射しと土煙に霞んだような風景だけを思い出す。あの日、ホテルに戻り、何をしたのか覚えていないのです。

(クアラルンプール)

東京のコレクションを終えて


会場の件を始めお世話になっているヘアー&メイク担当の小沼美奈子さん(ビビインターナショナル)
 6月6日。18回目の私のコレクションを東京で終えました。一年に一度、6月最初の日曜日に決めたのはいつだったか。コレクションの準備をしながら過去の思い出が甦ります。会場までスタッフとハンガーラックをゴロゴロと曳いていった事。夏なのにクーラーが効かない(その日に壊れたんですね)スタジオでショウをしたり、ショウが終った瞬間、お客様をおいて出張に行ったり、暴風雨だったり・・・・。時々で入れ替わるスタッフたち、モデルたち。ずーと変わらず居るのは、私と妻とあるお客様。関わった全ての人に服に、時間たちにありがとうとお疲れさま。時広がいつも自分のスタイルをこわさずやってこれたのは、支えてくれた人たちと服たちのおかげ。昨年から一回に30人が限度の会場にしたために、大変だけれど私らしい雰囲気で作品を発表できる。二つと同じものを創らないので、ショウの一回目に披露したものが売れた場合、2回目には発表せず違う作品をお見せする。「そうなんですか?」と驚く新しいスタッフに「そうだよ」と平然と答えるわたし。今回は特に音なしでの進行だったので、見せる側も観る側も少なからず緊張感があった。それもいい経験。そう、毎回のショウが私の実験場でもある。同じことはやりたくない、トラブルが起きればそれを逆手にとって、最初の発想と違うもっと面白いショウをしてみせる。「今回もきれいよう!!!」が、私の口癖らしい。本当にそう感じるのだから仕方がない。ある人が言いました。「時広を受け入れるためには、相当に懐が広く、深くないと付き合えない。」と。そうですか?そうなのかな?ただ、美しいものを創りたい。その単純な願いだけを求めてきた道。8月は大阪。東京と同じテーマ「暁の便り」でも、全く違った世界をご披露します。大阪、関西の好みに合わせるのではなく、変化する私に合わせて。





(東京)

あの時のあの場所の

 5月も終わりの21日、1年と8ヶ月別れて暮らしていた妻と子を迎えに山形に、3人の東京生活が始まります。彼女の実家である酒田市から繰るまで20分ほどのところにある松山町。遠くに鳥海山、月山などを望むところ。私に多くのインスピレーションを与えてくれる場所でもあるのです。いつも目の前に広がる田園の畦道を一人散歩するのが好きでした。数年前の母の日に彼女の母親に送った詩です。

星降る山
この山から日本海を眺める
月は鳥海山の右方に姿を見せて
遥かに波立つ海の音を風が運んでくる

ほら あそこに見える小さな灯
あれが、私の家 私のふるさと

初夏の夜にも雲は湧き立って
不思議な柱が天空に立ち並ぶ
星は人の物語を[REKISHI]をその柱に
刻みつけようと降りてくる

ほら あの あそこに見える小さな灯
あれが、私の家 大好きな母さんのいる
ところ


大好きな畦道から
 酒田から帰郷する前の日の昼下がり、こどもは昼寝をしている農村の静かな時間。そっと私の愛する畦道へ向かいました。田植えを終えたばかりの田んぼの水は明るく曇った空を映しています。雲間の切れ目にのぞく鳥海山は、ほんのすこし残雪がありました。見渡す限り誰もいません。わたしと草花と風と山々だけ。ゆっくりと深呼吸。鼻歌なんかうたいながら時間と戯れながらすごす散歩道。今度はいつ来れるだろう。今日はもうすこし先まで行ってみよう。小さな小川に沿って歩いていくと、中空から風たちが木々の梢の高いところからざわざわ、さらさらとこちらへ葉音を移動させながらやってくるのがわかります。藤が檜に絡まり巻きついて無数の大きな花房で飾る。古人がそこに美丈夫の男神の姿をみたとしても当然。古事記にある春山の霞壮夫とはこのことかと合点する。ゆるやかに歩をすすめながら不思議な世界に入っていたと思う。かつて、福島の友人宅の縁側で樹木たちが語り始めたときと同じ感覚が、再び私に降りてきて一瞬、周りの世界が変わった。ああ、ここにもあの世界がありました。解放されていく心。ただ緑のなかで泰山木の花の香りだけが私と現実をつないでいたのです。次の瞬間、私はかつて自分の書いた一篇の詩を閉じる時がきたと静かに、ある決心のようにおもうのでした。

わが子よ
さあ、眠りなさい。
私のいとしい子。
ミルクの匂いの可愛い子。
歌ってあげよう。
北の国の妖精たちの 不思議な呪文。
一生、パパと呼ばれない男が、
生命と引きかえに授かった天国の階段の
美しい名の歌さ。
眠りなさい優しい子。
いつまでも、平和の温もりの光の中で。

 もうそろそろ、子どもが夢からさめる時間。この土地とこの風景と「またね。」とわかれよう。歩き始めました。無邪気なひとつの未来が待っている、そこに向かって。

(山形県飽海郡松山町)

雨音に彩られたパフォーマンス・大樹


リハーサル光景:パーカッションはゲストの岡部わたる氏(上に吊られているのはKim Young‐Min氏とのコラボレーション)
 入梅して一週間がたつ東京の今日は、少し肌寒い雨です。ひとつのパフォーマンスを生み出していく。やりがいと意志のつよさを必須とすることを京都の若い3人とやるきっかけは「なんか、面白いことをしよう」であったのではないかしら。一年前の旗揚げを京都の大江能楽堂にてして、今年は若葉の5月に自分達の力を認識する原点となる舞台をと考えたのでした。池田宏子(踊り)、森美和子(横笛・歌)、吉田幸代(制作)の3人と冬の京都で鍋をつつきながら考えた会の名前が[澄瑠璃]でした。物語のように一抄が、冬の終わりから春の芽生え、二抄が、若葉の季節にふさわしく長い年月を経てもなお鮮やかな緑を万華鏡のごとく茂らせる大樹の命の始まりと宇宙へとつながる生命の潮をテーマに取り上げたのです。構想を時広、池田・森、吉田がそれぞれ持ちまわりながら、それを他のスタッフがサポートしていくのです。当日は雨、それも町屋を改造した会場の屋根を打つ音が効果音になるほど激しい雨。そういえば、昨年の公演もやはり雨でしたっけ。澄瑠璃はもしかして、澄んだ瑠璃が象徴するように、どこぞの水の神様に魅入られてるのかも知れません。それでも、舞台は京都組みがアレコレと試行錯誤しながらもかたちにしてゆきます。アイデアからのインスピレーション、音から、振りから、衣裳から。制作はより客観的に意見とアイデアを出してきます。何がよくて、何が悪いという軸がないだけに模索してゆくことも多い。

舞台の出来をチェックする吉田幸代。手前は鼓童の小島千絵子さん
自分達のソロとは違う、このスタッフだからこそ創りえる世界。それがまた多くの人々の欲する世界であり、新鮮でもあること。数限り無い表現者たちが存在し、作品を発表している世界に船出した澄瑠璃。リハーサルに立会い少しずつ構築されてゆく世界を感じながら、自分の意見も述べていく。助言ではない今回はあくまでも一つの意見。衣裳デザインからの効果的な振り、これは助言。同年代ではなく一回り下のメンバーとの合同作戦。おもしろい。でも、まだまだレベルは低いとおもう。人の噂になるほどの斬新なテーマと構成、もちろん表現力。昨年、公演が終った後、経費等の厳しい現状を前にして、「これからも、澄瑠璃の舞台をやっていきたいのか」と、各自に尋ねたところ「やっていきたい」。リスクを覚悟のパフォーマンス。その覚悟が重いほど、生み出してくるものも輝いてくると信じています。仲間内で受けるのではなく、見ず知らずの見識ある人たちもうなるパフォーマンス。

 雪華抄 第二 大樹の公演が終わり、会場から出た通りから見上げた夜を流れる雨雲。打ち上げ会場に向かう道すがら、京都の3人に頑張ろう!と声援を送っている私だった。

楽屋は御覧の通り