Shingo Tokihiroのおしゃれ旅情

第二十三回
私の中の、二つの泉

 98年に出版した作品集「曳く月 戻る太陽」の最後の文章。

私の中には天国があり、北と南に聖と光
東と西には喜びと従順の門がある。
その中央には謙遜という泉があり、
枯れることなく湧き出でる泉を希望と呼ぶ。
(私の中の天国から)


わが子のBirth Day ケーキ
 あれから、7年たった今もこの本を取り出しては自分の創造の原点を確認している。流行ではない自分の世界を追い求めてきている人生。だから、いつまでも新しい。しかし自分の在り様にゆらいだり、不信に陥ることもある。春の一夜、この文を読み返しながら「泉」について、枯れることのない泉を二つもっていると。美を愛する純粋な一人の人間としての時広。もう一つは人の子の親としての時広。98年当時、まだ、子どもを授かっていなかった私である。美というものが、ある主体に対する情的な力であるとするならば、私に子を授けてくれた愛の主体に美をもって応えたいと願っている。その願いは結局、自分以外のすべての人々へと意識を広げることになった。子どもという存在の重さは私の想像以上のものであったし、それゆえにこの泉の水量は確実に増している。

 「幸せな者にしかできないデザインがある」とは、ファションデザイナー森英恵さんの言葉人生の全てを犠牲にして、苦悩しながら生み出してゆく、そうでなければ芸術は生まれない。そうなのだろうか。人が纏うものを創っている私である。作品に心が入っているとするならば、苦しみや哀しみ、絶望が盛り込まれた「服」を着たいと思うだろうか。

 幸せであることの使命。そんなことをふと思う。

文章はつづく、

私は静かに創造者がそこに臨むのを待っている
それは祭司や巫女が神と地上を結ぶが如く、
私も多くの芸術家と同じように永遠の世界をかたちにしようとする

 この文章をうっている間も、二つの愛情を調和の煌めきを躍らせながら絶え間なくデザインのイメージは湧いてる。それを希望と呼ぶ。

 桜の季節は終わり、新緑の季節が目の前に巡っている。私はリリックのスタジオで愛する作品たちに囲まれながら、我が家でスヤスヤと眠っている我が子の寝顔をと夢を思いやっている。


ある日のスタジオ
(リリック 東京)