Shingo Tokihiroのおしゃれ旅情

第二十六回
いにしえも今も


法隆寺金堂の屋根を支える龍


宿泊した東大寺の僧坊の窓から見える竹林

 奈良に来ています。法隆寺に。目指すは中宮寺の弥勒菩薩。この町に住む友人ができてから、訪れる機会が自然とふえました。京都より私は鄙びた感じの奈良の町が好きです。質実剛健というか、平安より以前の大らかさを感じて心が解かれていく感じがします。日替わりのように移動する日々のなかのちょっとした、お茶の時間みたいに、この日は訪れました。きっかけはコート・ダンスの舞姫である樋口裕子さんのバロック音楽とダンスのコンサートを拝見することでした。ならば、ついでに・・・と友人達に声をかけたら、二日間の日程は物凄く充実したものになってしまいました。と、まるで他人事のようですが。大好きな中宮寺の弥勒菩薩に再会することができました。日本中の仏様を知っているわけではないけれど、一番に上げるとするならば、何をおいてもこの仏様。荘厳すぎず、かといって庶民的でもなく。仰ぐ白銀の月のように、あたりを払う品格を保っておられるのは、わたしが目指す作品風の到達点のひとつでもあります。あの時は感じもしなかった御堂の憐れさ。コンクリート造りの、周りの池には亀たちがいて架かる欄干のはペンキは剥げ、お御堂のコンクリートの塗装も一部は、剥落しかけてなんとも申し訳ない状況に心が痛みます。広大な法隆寺のささやかな一画を占める中宮寺の、この仏は一体何を感じておられるのだろう。当てにならない人の心の愚かしさでしょうか。

 それを含めて、包み込んで穏やかに微笑んでおられる。もちろん、ただの木を彫った像であるには間違いなのですが、長い年月に受けた祈りの想いが、何かを発しているのです。仏師の手を離れ確かに地のものではなく、天上に属する存在として顕現している。その夜は、広大な東大寺の敷地にある僧坊の一つに一人泊まりました。隣は戒壇院、遥かな時を越えて僧侶たちのあるいは、武士の、貴族、庶民たちの声が聞こえてくるのではないか、梅雨、6月の静かな夜、窓外の竹林のざわめきを聞きながら、心に忍び寄る恐ろしさと不思議な歓びに身を委ねながら、夜はゆっくりと巡っていきました。

(東大寺・奈良)