Shingo Tokihiroのおしゃれ旅情

第二十七回
夢とこころと時間のうねりに

 ひとつの舞台が終りました。街にもこの部屋にも秋の風。長月もあと一日。いつまでも暑かった夏。もしかして終らないのではと思うほどの、今では夏がくることが億劫になってきています。四季のあることのありがたさが身にも心にもしみわたる、そんな年齢になっているのかもしれません。さあ、うだるような暑さだった夏の長い旅情をたどっていきましょう。


七夜月のこと

《ソウルの友情とそれから》


東大市場近くの植木を売る通りで


狭い布地屋が集合したビル

 7月の終わりに、ソウルに行きました。私がデザインした商品の企画のことで。毎月のように、訪れていたことが嘘のようにチャンスを逃したまま一年以上が過ぎていました。「また、来月くるね」といったまま。この町での順調にいった仕事のおかげで、私は懐かしい友人達に会えました。全く無駄のない、まるで、最初から組まれたスケジュールのように、いろんな人に会っていきました。東大門市場のいつも、買いつけるテキスタイルの店も、そこへいたる薬局が連なる通りも、歩道一杯に並べられた植木も、アジュマ、アジョシ、アガシも変わらない。その友人はいつものように、布の反物を積み上げた小さなブースの中に座っていました。彼はハングルと、ほとんどわからない英語、日本語で不思議な会話をしていきます。私を見たときちょっと驚き、それからいつものように穏やかに隣の席を用意します。言葉は通じない、けれど、通じている。韓国の経済事情はよくなく、特に繊維業界は打撃が大きく、もしかしたら何百とある東大門市場の小さなブースが集まったここも、閉じた店も多くなっているという。そんな中で健闘している友人です。応援したいとつい買ってしまいます。といっても、日本よりは半額から7割は安いのですが。そして、彼もこの日本人の友人を喜ばせたいと、さらにサービスしてくれます。その心に応えたいと、美しいコスチュームを創り、その写真を見せて彼の瞳が輝かせるのが、私のお返しでしょうか。

 その夜、もう一人の韓国の友人と会いました。まるで、兄弟のように気持ちが通じた人でしたが、結婚し、妊娠した奥さんを抱えて今までのように自由に創作活動ができず、家族のために働かなければならなくなったことに戸惑い、その表情は苦しんでいました。彼とは英語ですが、以前のように思いが通じなくなっていること実感して、二人の間にできた溝を感じてしらけている自分でした。人は変わる、環境も、時代も出会いと別れと生きているかぎりつづいていくのだと。自分が願った結婚と家庭の夢と現実とのギャップからくる不満を一方的に語る彼の姿を見ながら、私は何を助言もすることもなく、彼がその人生を選んだことで、家族をもったことが彼にとって、重荷でなく創造の新しい可能性を開くことだと解かる時がくるように願いながら、後姿を見送ったのです。ひとつ、友情が終った。変わったのは私なのか、それとも彼なのか。その意味で結婚は大きい影響力をもっていることをあらためて知らされた時でした。

(ソウル・韓国)


舞台の上の一人と裏の一人


新神戸のオリエンタル劇場でのライティング、リハーサル


衣装室のスナップ 相見真紀さんと衣装担当の池田木綿子さん

 制作の友人の紹介で、安寿ミラさんのダンスコンサート、FEMALE vol.8の衣裳をデザインすることになりました。名前は聞いていたけど、具体的にどんな人なのか知らず、初めて会ったときに自然にイメージが浮かんできたので、大丈夫と思いました。というのも、私はどんな仕事も自分が納得できなければお断りするので、全くイメージが出てこなければ、お互いのためにやらないのです。しかし、具体的に始まるとバトルというか、お互いに主張を譲らず、加えて振付家まで意見を言ってきて(当然ですが)、もしかして、この人たちは私をデザイナーではなく、単なる衣裳さんとしか思っていないのではないか。デザイナーに対する認識がなく、単なる自分達の好きな衣裳を作る人と勘違いしていないか。そう感じ始めたら、次々としてくる要求に納得がいかず、最後は創ったコスチュームの全てを持って帰ろうかというところまでのいったのでした。私にとっては珍しいことでしたから、その時の状況を想像してみてください。喜びの心情からしか、コスチュームを創らない私が苦しみしかない状況であったのです。今にしてみれば、安寿さんをはじめ他のスタッフも、これまでと勝手が違ったかもしれません。

 やがて、幕が開き衣装もまた評価をいただきながら、私は自分の作品が見せたいだけじゃない、コラボレーションをしたいのだと実感しました。安寿さんとだけでなく、FEMALE vol8の世界とのコラボレーション。だから、ミュ−ジシャンたちの衣装もその対象になるのです。経費の問題ではなく。

 このとは女優白石加代子さんの演技を「リア王」で、間近に観ながら、板の上一枚にたった一人、誰も助けることができない。その孤独の絶頂で生みだしてゆく世界を創りあげる人間と関わる私の衣裳たち。安寿ミラさんも場合も同じ。皆が彼女を、彼女の世界を見たくてやってくる。そのプレッシャーと精神を、また舞台衣装家として「美」をもってフォローしていきたいと思ったのです。東京、神戸と舞台は移り、宝塚時代からのファン方たちのある想いも知りました。舞台衣装家の成すべき立場を、美の女神が与えてくれた特別レッスンでした。

(東京・神戸)


雁来月のこと

《静かなコレクション》

 気がついたら、もう4回目になる大阪のコレクション。福岡は一回で終ってしまったのに。なぜ?理由はハッキリとしています。私のコレクションを待っている人たちがいてくれるから。福岡はその絶対数がいなかった。とても、単純な理由です。今夏、私のコレクションを毎回楽しみにしていただいた方が、亡くなりました。

コレクション写真 撮影:宮川舞子

しかも告別式はコレクションの当日。こんなこともあるのかと思いながらも、コレクションが始まるとすべてを忘れてひとつの世界が降りてくる。テーマは「美女伝」。西王母、ベアトリーチェ ダ ポルターニャ、沈青、虞美人ら。なぜ美女伝なのか。私は日本画家を目指していた中学生のころから「美人画」、特に神話や伝説、或いは歴史上の人物に興味があったが、クレオパトラや楊貴妃といった人物にはあまり興味がなく、どこかしらに「聖」か「清」を漂わせている美女に思いがいくのです。何かのために自ら命を絶つ程に意志の強い女性。あるいは全てを包み込む母性。8月27日、コレクションを終えて会場をでれば、初秋の風。その夜の高さを今も思い出します。東京と大阪のコレクションは今までになく静かに淡々と進行して行きました。まるで、陽炎がゆらめくように、高ぶることも変に意味ありげでもないあるがままの自然の時間。誰かのためでもない、ただ水が流れるように。東京はそれぞれの美女たちが浮き彫りにされ、大阪はその美女たちが一つの宇宙を創っていた。

 美女達の生き方を讃美したコレクション。そして、自分が新しい段階に入ったことを知らされたコレクションでした。

(大阪)


神の島と祈りと夏の終わり

 8月22日の朝一番、佐渡、小木港発直江津行きのフェリーの見送り。鼓童のメンバーたちが埠頭で、見送りの演奏をします。船には鈴なりの観客、三日間の思い出を噛みしめるように、メンバーの演奏を聴いています。見送るものと送られる者たちとの間に、19.20.21日この三日間に生まれた絆が繋がっているようです。そうして、船が岸壁を離れた途端、豪雨が、もう目の前10メートル先が見えないほどに降ってきたのです。加えて稲光と雷鳴。メンバーたちは雨にずぶ濡れになりながら太鼓や笛を演奏し、踊りつづけます。そして船上のみんなも手を振り続ける。太鼓で調子に応えるように雷鳴が轟いて。鼓童のメンバーとともに残った参加者は、埠頭の先まで行き、冷たい雨にさらされながら雨煙のむこうに見える船に向かって手を振り演奏している。が、フェリーが港から外海へ出た途端、雨は急に上がり晩夏の太陽が地上に射し込んできた。まさにアースセレブレーション「地球祝祭」のドラマティックなエピローグでした。鼓童メンバーの小島千絵子さんの特別フリンジで、「宵のゆんづる」の衣裳をやることになり私も初めて参加しました。


ECで出会った写真家、佐藤正治さんのポストカード

 20日最後のフリンジ。しかし、昼間あれほどの晴れ渡った空と雲に美しい夕空だったのに、雲がかかりはじめて夕刻遅くには雨がぱらぱらと。沖を見れば対岸の上越辺りは雲に覆われ稲光がはしっている。聞けば大雨だという。両津でも雷雨とのこと。私は海岸に出て、海と空を見やりながら心の中で祈っていました。「私はこのEC(Earth Celebrationの略)のフリンジで、人と地球、自然だけではない、宇宙の運行と天に対する祝祭としたいと願い参加しました。宵のゆんづるは地上から見るだけではない空から、美しい花のように見えるようにと願っています。そのためにも野外でどうしてもやらせて欲しい。このもいが、あなたの心に叶わないならば全てを委ねますと」 夜の空は厚い雲が流れているのがわかります。うっすらと月の気配を感じたかと思えば直ぐに掻き消されてしまう。結局、実行委員会本部の決定で小木港にできた野外公園で行うことに。太陽と命を象徴した緋色の衣裳の小島千絵子さん(宵のゆんづるの振り付けを創作)を中心に、月を象徴し、この日は琴を演奏した作曲家の木村俊介さん、月光に輝く海原を象徴した衣裳の鼓童連中、ワークショップに参加したメンバーたちは手に白い羽根をもって、揺れる波頭を描き出す。典雅な不可思議な調べに円陣をくみながら、まるで結界するように踊りはすすんでゆきます。最後は見学者も一緒になってそ輪は膨らんでいきました。「では、最後にアンコールで」との声で踊り納めたとき、仰げば黒々とした厚い雲の峰を破って満月が、星たちを引き連れて現われたのでした。「皆さん、お月様が現われました!」の声に歓声があがり、美しい夜は最高潮に。


鼓童の小島千絵子さんとスナップ

 一人宿に戻り、いつの間にか寝てしまっていたようでした、ふと、周りのあまりの明るさに気がついて目を開けました。部屋中が光の中。窓の外にはあまりにも優しい丸い月が一人、何度も何度もうなづきながら、微笑んでいます。そう、わざわざ、私を訪ねてくれたようでした。私の願いは間違っていなかった。私も月に笑いかけました。その次の夜、今宵も月光を浴びたいと願い、楽しみにしていたのに、月の光はこの部屋に射さず脇の竹やぶを、青く濡らしたように照らしています。つまり、この部屋の周囲は竹やぶで、月は竹林に邪魔されてここから見ることができない。では、昨夜のあの月は・・・・・・。

 ECが果てて、佐渡を離れる日。小島さんが私の好きな灯台のある高台へ連れて行ってくれました。風が強く、夏の名残をとどめる碧い海。地上には早くも薄が群れを成して一画を陣取り、そこはもう秋。大陸へつづく空もまた青くひろく、雲が何層にもなってまるで大理石のように見えます。素直に美しい。目だけでなくその向こうにある「心」に触れる気がしました。小島さんははなします。「以前ね、ECにバリ島の人たちを招いたときに、ここはバリと良く似ている、ここは神の島っていわれたことがあるの。ハワイのフラダンスの人たちが雨の神を呼ぶ踊りをしたら、突然、本当に雨になったこともあるの・・・.」

今、私に訪れているこの平和がどうか、この瞬間にも世界へ広がって伝わって欲しい。私は何かに祈っていました。今夏、佐渡ヘの旅は文字通り呼ばれた旅でした。まるで、巡礼のような。そして、美しい旅でした。

(佐渡・新潟県)


青女月のこと

《芝居の神様(名月の下、都会をカタカタと)》

 新潟市文化振興財団(りゅうとぴあ)制作の能楽堂のシェイクスピアと関わるようになったのは第二弾の白石加代子さん主演の「リア王」からでした。第三弾「冬物語」のお話をいただいて、正直心配だったのは、今回は新潟の役者たちが大半を占めていることでした。単に舞台上のことだけでなく、一つの興行として成り立つのか、地元はまだしも東京においてどうなのか。


役者のヘアー&メイクをする佐藤圭さんと山田綾美さん


衣裳担当した山田志麻さん、佐藤匠くん、木村さちこさん

 結果はその危惧に反して、どの回も定員を超え、最後には大入袋がでました。

 今回はプランナーとしての立場から、裏にはいることはありませんでしたが、練習の最初のときは本当にどうなるのか、心配ばかりの状況でおこがましくも、こうなったら衣裳だけでも鑑賞に堪えるものにしなければ大変なことになると思いました。演出家の栗田芳宏氏は、私の感覚を巧く使いこなせる珍しい才能の持ち主。りゅうとぴあから送られてくる、たびたびの演出の変更を目にしながら納得の出来ることばかり。衣裳は根本的に原作者であるシェイクスピアと能楽を完成した観阿弥、世阿弥へのオマージュとしてデザインしている。役者達は勝手のわからない衣裳に戸惑いながらも、何とか自分のものしようと格闘している。そして、2、3ヶ月が過ぎた頃、本番の5日ぐらい前だろうか。リハーサルを立ち会っていたら、なんだか違う。雰囲気なのかノリなのか。まとまってきている。彼らが役に同化し始めている。何が原因でそうなったのだろう。そのまえに翻訳家の松岡和子さんが栗田氏に「あなたはずーと見ているから感じないかもしれないけど、これ、おもしろいよ。冬物語をやった人に観て欲しいわ。」と言っておられた。栗田氏はシェイクスピアの物語を能楽堂の誤魔化しのきかない世界に合わせるのか、つぎつぎと削ぎ落としながらその物語の核心をついていく。東京公演を観た人の何人かは、「彼ら、若い役者たちのひたすらな演技が、商業演劇に毒された役者達にはない一種の爽快感があった」と感想を残している。演じることへのひたすらさを、純粋さを、真摯さを芝居の神様がこの芝居を公認する理由だったかもしれない。新潟の初日もさることながら、東京公演での彼らは大きく成長して、この冬物語のまさに役者になっていた。衣装もまた彼らに寄り添っているのだった。連日の満員の様子を見ながら、その能楽堂の主宰者は「よくこんなに集められるよ。なかなかできないことだ。」と感心していた。東京の初日の公演が済んで、友人たちと小さな宴をもって気がつけば、終電近い。青山通りをカタカタと下駄をならしながら、小走りに駅へ走る。雲もない夜に見事な満月、久しぶりの中秋の月。誰もいない都会の大通り、月と宝石のような喜びと役者やスタッフたちへの温かい想いを抱きながら、車の往来の音は耳に聞こえず、下駄の音と小さな声で「明日も頑張んなさい。そして 有難う」とつぶやいている私だった。

(東京)