Shingo Tokihiroのおしゃれ旅情

第二十九回
2005年のクリスマスに、新しい始まりに

 今年のクリスマス、東京は晴れています。東京以外は大雪の被害を報じています。温暖化とは、冬はさらに寒く、夏は異常に暑くなることを繰り返してすすんでいくのだとか。ならば、確かに温暖化現象を体感するこの冬です。それは【世界】を意識せざるを得ない時代に入ってきたことでもあるのです。

半世紀の明るさと軽み

 10月23日で、50歳になりました。それを記念してちょっとした集まりとか、何かしようと計画していたのに、仕事がドド―ッと入ってきて押し流されていきました。50代にのったら心が定まってとても精神的に軽くなったことを覚えています。昨年の誕生日は新潟で仕事のスタッフと、今年は22日、京都・青蓮院でのイベントを終え、宿泊した友人宅で迎えたのでした。話に興じているうちに時間は夜を渡り23日を迎え、それならばと景徳鎮の小さな杯にイタリア渡りの葡萄酒で乾杯。神無月は私を美の神とともに生きる覚悟と歓びを与えた月でもあったのです。前半は山口は宇部と萩、出雲、斐川、新見と神有月の国を巡りながら、後半は京都で光の梵字を御本尊の御開帳に合わせた同院でのイベント。開始は夜、庭園には光のコラボレーションが繰り広げられていています。誰でも自由につける梵鐘があり、何故か打ってみたくなり、40代最後の精算も込めて打ったのです。すると、カラリと外れた気がしたのです。それから、どうなったわけでもありませんが、この感覚は私が結婚式で、祝福を受け聖水を浴びたときに受けた感覚と同じなのでした。まるで、鎧が、或いはカブトムシのあの甲冑が背中から外れ、フーッと明るみ出ていく感じ。ああ私は新しい時代に入ったと実感したのです。衣裳デザインが天職であると素直に認めることをできる段階に入りました。それは、私一人ではない多くの人々や自然たちと創っていく美の世界。美の女神に公認されていく世界を目指していく道。私はもっと澄んだ心をもちたいと願う。悲しみを知り、喜びと、希望をもち、怒りも醜さも理解しながら、悩む弱さと失敗も受け入れながら、全てを美に転換していくことを許されて、50年の年月を生きることを許された自分という存在を自分のものと思わず、何かの為に存在するものとして歩みたい。衣装のデザインや、打ち合わせ、仮縫い、イベントの構想等々で追い立てられる時間の中で、心の深い所から湧き上がってくる強い《意志》でした。

リリック(東京)

光の反射板としてプリズムの心

 新しい年がそこにやってきます。ある友人は「歳なんて人間が勝手につけたもの。太陽暦は西洋人が決めたもの。だから、新年も何も気にしない、関係ない.。」と言ってましたっけ。また、別の友人は「太陰暦って霊界の暦なんですって」なんてことをいう。私のバリエーションに溢れた友人達。大切な宝物。50歳を迎えてから自分の中で確かに一つの段階に上がったと感じてきたのは、やってくる仕事のスケールと内容、自分自身のデザインする際の自然さから。運命に始まる(わからない)事柄たちにも、ある数的公式みたいなものがあるのだろうか。明日を知れない私たちなのに、将来の計画をたてたりする。

 夢を見ました。

 現在のある理論ではこの宇宙はビッグバンで始まり、今もこの宇宙は膨張し続けているそうです。そして、いつかその膨張が終った時に、今度は収縮が始まるのだと。一点に向かって。無に向かって。人々は自分の個人的な幸せ、不幸せに涙してこの星で生きている。その夢は収縮の途上で人類の存在が失われていく時の人々の夢でした。宇宙そのものが消えてゆくという現実を前に、人々は逃げ惑うこともできず、この世界に誕生したことを怨むのだろうか。その時に初めて、すべて人々が生命の意味を探すことになるのでしょう。そして、何が一番貴いものであるかを知るのかもしれません。闇が星たちを消していく中で、限りある時間を気高く生きようと生まれたばかりの、やがて、無の中に共に消えてゆく運命のわが子に微笑む母親、津波に襲われるように大声を上げながら消えてゆく人々を眺めながら、私は声を上げて泣いているのでした。

 地球の歴史を見ただけでも滅び去ったものが、どれだけ多いでしょう。私たちの思いが、地球規模でなく宇宙をさえ意識していくならば、その運命を思うならば、平和は必ず実現すると信じている時広です。私の好きな中空一さんのフレーズ「人間は必ず幸せになる運命にあるのです」。デザイナーとして私は唯美主義を武器として、新しい年の扉を開けていこうと思います。厚い扉の向こうから、早くも囁きと叫びが聞こえてきています。

リリック(東京)