Shingo Tokihiroのおしゃれ旅情

第三十回
嘉月のはじめ、沈丁花の咲く前に

 何から書いたらいいのかというほどに、一杯に詰まった睦月と如月でした。そして、今日、街路樹の根元に植わった沈丁花の一叢を見たとき、あの白い花の蕾がふっくらふくらんでいるのを見ました。春はこの花、秋は金木犀の香りにハッとさせられるのに、まだ、その甘い香りを放つまえの姿を見て、なんとはなしに得した気分になるのです。

 これまで何度も紹介した携帯の旅メールを紹介することで、私の2006年初めからの心の旅を辿っていただきたいと思います。

明けましておめでとう!とリリックの空間に挨拶しながら入る。時折、雨模様の正月の空を見ながら、このアトリエには衣装とまだ使われていない布に余布が入ったダンボールがそれぞれ熱を持って散在しています。これからの未来を期待しているように。無感情の空を眺めていました。突然、この七階のスタジオがぐらりと空中に漕ぎ出したようです。過去と人の心と今と未来の絆を信じて。新しい年この小さな舟は動き始めました。平和の太陽を目指し美の櫂を音楽のようにならしながら。この年も多くの出会いが皆様にありますように。

(正月二日)

今から新潟の初日へ向かって船出です。気がつけば能楽堂シェイクスピアシリーズの乗員になっていました。先回の祝福された冬物語に心が高揚しましたが、マクベスは心が重い。けれども、立ち現われた舞台は凄まじい美しさでした。今朝、目が覚めて私の衣装の役目は何?と思ったとき。与えられた答えは作品に捧げる供花であるということでした。いつまでこの舟に乗っての巡礼のたびが赦されるのか・・・。いわくつきのマクベス、明日はお祓いを受けて上演を向かいます。旅の道連れは古今和歌集。典雅な美に優しさを取り戻します。

(正月二十七日)

今マクベスが、明日からルビチが幕をあげます。秋までのいくつかの舞台が決まり、衣装は高い評価を戴いて、それがまた新しい舞台を呼び入れて・・・・。本当は喜ばないといけないのでしょうが、何故か自分の居場所がない感じ。動き始めた舞台と私の時間が食い違っている。薔薇色の海に浮かぶ一艘の小舟。乗っているのは私一人。櫂もなく海流に流されている。美しい空と海。救いは光の方角へ向かっていること。今日は早く休みましょう。そして、意味もなく訪れたこの憂鬱を夢の中で流しましょう。いつもの私に帰るために。

(如月九日)

作曲の宮川彬良さんが息を飲む美しさであったというほど、ルビチは音楽、照明、衣装など全てが心情と美で調和した世界。ふと、私は成長した衣装たちが、孝行息子、娘となって年老いた父親をいたわってくれている気分に陥るのだった。作品を作るたびに「こんな着る機会もないし、高価なもの作ってどうするの?」と言われながらも、美しいものを創りたいという気持ちに嘘をつかずに生まれた作品たちが、今、私を助けてくれています。その作品たちに誓う。さらに気高い作品を生んでゆくと。悲しみの世に私ができることです。ルビチ、日韓の枠をこえて人の魂のコンサートでした。

(如月十一日)

朝、東京は春でした。マクベスとルビチがあった二月は豊かで美しい月でした。三月は始めてのカナダ行きがあります。ワラワラと焦る思いとなかなか動かない頭と体に、魔法をかけましょう。そして、気付かないうちに育った傲慢の若芽を摘んで過ぎ去る如月に置いて行こう。なんだか異常にたくさんの人会った後の軽いめまいがする。夢がハードルでもあることを今更ながらに知って、だからこそ、今一度素直さに帰ろうと思う。新しいつきを静かに迎えられるように。

(如月二十五日)

私にとって三月という色はフュ―シャーピンク。あの沈丁花の白い花を縁取るボルドーの赤にもっと光を含ませた色。モノに溢れかえり始めたスタジオで、何の気なしに整理していたら、妖しい夢と詩を記した大学ノートがでてきたのです。そこには栃木市のサクラ保育園創立二十周年のために依頼されて、作った三つの詩の推敲もありました。その詩は一瞬光を浴びて、あとは誰の心にも記憶にさえ残らないまま忘れられたのでした。私にさえ。それが再び私訴えてきています。そのノートにあった詩のうちの二編をここに記しておきます。一編はまさしく「春の詩」ですから。

「私」の細くしなやかな指は
炎の色を映す海をゆっくりかき混ぜている
それは一つの儀式なのだ
水面は炎 水底は青い沈黙
指先から私は未来を感じとる

ゆっくりと私は水晶の耳を
逞しい胸にあてる

規則正しい鼓動は宇宙の始まりを教え
黄金の鎖は失われた文明の秘密を奏でる
人の温もりとはこんなにも無条件の祈りだったのか

全天が星で埋め尽くされる刻なのに
海の色は茜色のまま太陽を閉じ込めている

迎えにきた緑色の瞳と鱗を輝かせる三人の人魚
「私」は徐に海に飛び込み
悔悛の水を飲む

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柔らかな春の雨が降る
黒い土に鮮やかな緑の草々が生まれ広がってゆく
空は曇り、向こうの山々は煙り
黒い鳥が花をつけない樹々の間を低く飛んで
一人旅する私の心から恥をついばんでは去っていく

悲しい父の夢を見た

春がゆっくり私を抱きしめて
力なく倒れた私の口から花々をこぼれさせる
朽ちてゆきたいと願うのだけれど
春は今年も生命の冠を私に授けようとする

神よ

明るい雨の中で
光を含む曇り空の上の蒼い宇宙を抱いて
時間の笑いの中にいつか溶けてゆく
                        春

(弥生 東京)