Shingo Tokihiroのおしゃれ旅情

第三十一回
国際シェイクスピア フェスティバル旅日記


ルーマニア/クライオーヴァの中心街
4月24日:成田→アムステルダム 約10時間、アムステルダム→ブカレスト 3時間、ブカレスト→クライオーヴァ 4時間(車)。長い長い旅。現地に午前4時近くに到着。疲労と腰痛で、部屋にはいったなり即、眠りに落ちる。

25日:ここは青葉、若葉の季節そして夏。日中は28度!まで気温があがる。けれども空気が乾燥しているので過ごしやすい。北海道みたいな感じだろうか。街に生活用品を買出しに。東洋にはない屋根の形、西ヨーロッパとも違う独特なそれは、東欧と呼ばれる地域の共通なものだろうか。街の中心に近いホテル。人工10万のクライオーヴァ。勝手にホテルは古い木造で、ロマンティックなインテリアと決めつけていたのだが(というのは、わたしはどこでも自分の作品を撮る機会と場所を探しているからなのだ。)、全くモダンなホテルだった。シンプルで押付がましいインテリアがないのが、逆に過ごしやすい。


山頂に47mの十字架が建つ。不思議な感動的な風景
クライオーヴァのロシア正教の内部を特別に
 衣装とヘアー&メイクのメンバー4人と街を散策。あるロシア正教の寺院に入った途端、一人が「吐きそう」と言って出て行った。チャウチェスク独裁政権下でも信仰を貫いてきた人々の忍耐と切実な信仰心を思う。その人々の「念」のようなものが、この聖なる空間の満ちているのかも知れない。照明も礼拝の時以外はつけることがない。観光化された西の教会とは対照的なイメージをもつ。聖堂の正面にはイコンがいくつも飾られていた。

 この街では日本人が珍しいのだろう。あちこちで人々が興味深そうにこちらをみている。

 フェスティバルでは毎日招待されたカンパニーの舞台が上演される。この日はサンクトペテルブルグのチェーホフ劇団の「十二夜」は軽快な演出で男性だけの劇団。終演後のレセプションで団員の27歳の若者と話したが、6歳から芝居をやっているという。言葉がわからない分、周囲の反応とのギャップが大きく、笑える仕草でないところで笑いが起きたりすると、なんだか置き去りにされた気分だった。日本から行ったメンバーでも、シェイクスピアのセリフを知っている者は楽しんでいたようだった。

26日:同じ演目をクライオーヴァ劇場のカンパニーが上演。チェーホフ劇団はルーマニア人にも言葉が分からないだけに、同じ条件(字幕はでていた)のため、動作、振り付け、音楽などで結構笑えたけれど、こちらのカンパニーの演出はこれが、喜劇?と思わせる演出で、それでも観客は何度も笑っていて受けていたのだから、やはり、言葉を理解できないことが、災いしていた。


クライオーヴァ国立劇場の楽屋。この劇場を代表する女優のポスターが壁を飾る

クライオーヴァ劇場の衣装のスタッフ
28日: 告白
 昨夜、私たちの舞台「冬物語」の上演が終わりました。10分間のスタンディングオベーション。湧き上がるブラボーの歓声と拍手。楽屋にいた演出家が舞台へ。さらに大きな拍手が聞こえます。その時、私の心には「私も衣装デザイナーとして、舞台に上がるのでは・・・」という傲慢な気持ちが頭をもたげたのです。能楽堂・シェイクスピア シリーズにおいて衣装の果たす役目は大きく、これまでに衣装に対する評価も高かったからです。本当に演出家が自分の世界を創りあげる要素として衣装の存在を大切だと感じているならば、時広を呼んでくれる筈・・。

 西洋において、演出家と同時に舞台美術および衣装デザイナーは舞台にともに上がるほど、舞台創作の一翼を担う存在として社会的地位の認識がされていますから。結果は呼ばれることなく楽屋で衣装の整理をつづけていたのでした。これが普通なんだと自分を無理に納得させようとする自分。照明や音響、舞台監督は・・・。そう考えると私の心のさもしさに自己嫌悪に陥るのです。

30日:クライオーヴァを出発してブランへ。ドラキュラ城のモデルともなったブラン城近くのペンションを借り切っての宿泊。昨夜はメンバー二人とイタリアンレストランで食事。この能楽堂シェイクスピアシリーズに関する様々の誤解が解けていった。新しい出会いとこれからのこと。首都ブカレストでの2公演が成功裡に終ることを祈る。



クライオーヴァからブランへの移動に寄ったペンションのテラスから、小さくドラキュラ伯爵の城を望む
 (移動の車中から) 若葉の季節、ど真ん中を行く。山を越えればトランシルバニア(トラン=越える、シルバ=山脈のある)。丘陵の青草を食む羊に牛の群れ、山サクラに、林檎の花が咲き乱れ牧歌的な風景に優しさを加えている。バスの運転手は二人、うるさいくらいに大声でしゃべり、口笛を吹いたりの陽気さはまさにラテンの血。流れているはアラブやインドの音楽じゃないのと思う旋律。

 差し込んでくる5月の光。時折すれ違う荷馬車、道路を横切るのんびりとした牛やあひるの群れ。車は何度も折れ曲がる道をズンズン山を登っていく。高地で樹木は平地のように若葉を吹き出していない。だが、地面を覆う草花たちはすでに春の色。うらうらと心地よい揺れの中、幸せな眠りにおちた。

5月1日:カラパチア山脈(ヨーロッパとアジアを隔てる山脈)は、東ローマ帝国が滅び、トルコが攻めてきたけれど、この山脈が自然の城壁となりローマニア(ローマ人)は、そのまま残されることとなった。それが、この国ルーマニアの名の由来だ。昨夜、ホテルの一室に自然とみんな集まり、新潟の役者たち、今後のあり方について外部スタッフの思いが素直に吐露されてゆく。新潟発信をスローガンに始まった様々ない主催事業の中で、この能楽堂のシェイクスピア シリーズは始まった当初、このような展開になるとは誰も予想しなかったのだった。東京でフリーで厳しい舞台の世界で生き抜いている外部スタッフたちの厳しい意見は、新潟のメンバーたちには耳に痛いものだったに違いない。どこかしら、観光気分の浮いた感覚。守られた環境での舞台活動の無自覚。それは、しかし、学生が大半の彼らにそれを理解せよということが難しいのかもしれない。ただ、りゅうとぴあのこの舞台が今後さらに充実したものになって欲しいと願う外部メンバーの熱い想いが、酌み交わされる杯を重ねるにつれて高まっていた。


ルーマニア/ブカレスト。宿泊のホテルの名は「馬小屋」。歴史的建築群の一つ

そのホテルの部屋
2日:浅黒い肌に、アラブの血を感じるようなエキゾティックな顔つき。西のヨーロッパ人と違う。読めない文字、理解できない言葉の国。親子、恋人、老人、子どもたち。それだけはどこにも変わらない。人間がいる。生活する人間がいる。日本人の眼ではなく、一人の人間の眼でこの国を見つめたい。貧しい国ではない、心温かいひとびと。グルメではなくシンプルな自然な食べ物。バターを使わない美味しいパン。数種類のチーズ、サラミ、ハムと目玉焼きにミルクとコーヒー。気取らない食事。宿泊したホテルの名は「馬小屋」ホテル。ブカレストでも歴史的建築物保護地域の指定されている場所に存在している。四角い中庭(かつては馬や、馬車を寄せたところだろう)を巡るように、木造3階建ての幼い時の校舎の匂いがする旧い赴きあるホテル。調度品からランプにいたるまで一つ一つがアンティークの世界で、一人大喜びする。ただ古いだけにお湯が出ない、ドアノブが外れるなどとトラブルも多いが、まるで舞台のようなこの建物の魅力にはかなわない。

3日:ブカレスト初日。昨日のリハーサルで衣装の一部が、舞台上に設置した本火によって焦げるというアクシデントあり。また照明の関係で紙ふぶきが見えないなど、いろいろとトラブルを抱えての本番。幕が下りたとき、観客からは大きな拍手が・・・。クライオーヴァでの大成功の噂はすでにブカレストに伝わっていて、人々も期待していた。この時既に演出家は別の舞台の演出のために帰国していた。クライオーヴァと違い上演後のレセプションもなく、観客との交流や意見交換もないままこの日はホテルへ。なんだか「好評だよ」という話が、実感をもってこない。



ブカレストの劇場
4日:昨日以上の観客で、通路にまで人が。立見席まででるほどの人気であった。この日、制作に「終演後はキャストが観客を送り出すことにしましょう」と提案。そして、役者たちを送り出す。フロア―では階段までも鈴なりの人ひと。キャストが並ぶとまた大きな拍手が。役者たちも自分達がつとめた舞台がどれだけ人々を感動させたかを実感できたのではないか。そのことが新潟のあるいは関わったスタッフの今後に大きな自信になって欲しいと願う。初めての海外旅行がこの公演にもなる高校生の役者たち。自分達がやっていること、やってきたことの素晴らしさを目の当たりに体験することで、これからの人生で何度も振返るであろうこの瞬間が、一つの勇気にもなってくれれば。少ないスタッフで手が回らないなら、私は衣装デザイナーだからなんて言ってられない。観客に握手をも求められたり、記念写真を撮ったりしている彼らのキラキラと瞳や表情を眺めながら、この旅の全てをシェークスピアと観阿弥と世阿弥に感謝している自分であった。そして、自分が信じてきた一つの美意識が海外にも通じることを確認できた旅でもあったのだ。

6日:ルーマニアを離れる日。青い空と白い雲と柔らか新緑の輝きに満ちた一日の始まり。日本では「薫風」という風が吹き抜ける美しい季節。一日はアムステルダムでトランジット。それから日本へ、新潟の凱旋公演でこの旅が終る。

(ブカレスト/ルーマニア)

新潟の凱旋公演の打ち上げで――――

 「この瞬間にも世界で悲しい出来事が起きています。私たちがこの旅で多くの人に喜びと感動を与えることができた時、同じ時、誰かが救われ、希望を抱いてくれたと私は信じています。いまだ悲しみに溢れているこの星で私たちはこの仕事に誇りをもってこれからもいい舞台を創っていきましょう」と実感を込めて挨拶をしました。