Shingo Tokihiroのおしゃれ旅情

第四十四回
「人びと」という名の詞華集

佐渡、鼓童12月公演のリハーサルを終えて、1人フェリーで帰京する私を送ってくれたメンバーの小島千絵子さん、中込健太さん。(佐渡・小木港桟橋)

北国の火種を一つ持ち帰る

黄落は母の膝より始まりぬ   智里

大阪のコレクションや08年4月3日のパフォーマンスのヘアーー&メイクをお願いしているアーティスト高橋智文さんと福井の行きつけのお店で、マスターと三人のショット 糸魚川市市民文化会館のプロデューサー前田孝さんは、4年ぶりに訪れた私を市内の様々な場所を案内してくださり、再び新しい縁を結ぶきっかけとなった。(糸魚川市・ヒスイ峡にて) イタリア文化会館で私が舞台美術を担当したリーディング コンサートの主役。イタリアの詩人ステファノ ベンニ(Stefano Benni)
 上記の二句は母親の81歳にして始めての句集「旅の途中」に収められています。私の好きな句であり、この句からインスピレーションを得て数年前に作品も創作しました。師走の中旬にさしかかった東京で2007年最後のおしゃれ旅情を書いています。ふとした折に感じる人生の温もりのようなもの。決して遥か遠くでもなく、夢でもない「死」というものが、おぼろげに見えるようなそんな年齢になっていました。うららかな冬の日、母のこの句は私に染み込むように心に届いてきます。衣装デザインを「天職」と思えるようになってから、周囲の人々に対して色々な要求をするようになって、同時に私自身はどんどん透明になっていく気がしていました。ある時友人に「時広さんは自分のことしか関心がないでしょう」と言われ、はっと、気がついたことがあります。人あってこその衣装ではあるけれど、その人間が厄介で、どこかで、人間を無視していたのかもしれません。「理解すること」に必要な膨大なエネルギー、「愛すること」が要求する自己犠牲の重さ。若い日は言葉と気持ちだけが高らかに理想の「愛」や「ヒューマニティ」を訴えていて、それだけで満足していたようです。

佐渡から直江津までの冬の海は、その日荒れていました
 生き抜く厳しさは徐々に私を少しずつ、人間嫌いにしていったかもしれません。嘘も毒もない美しい布や素材たち、「創作」という完全に自由な世界で私は解放されています。友人のあの言葉は私の傲慢さをついたのかも知れません。

 仕事柄、若い人とも現場を共にします。プロフェッショナルとも一般の人たちとも。今年もいろんな場所へ行き、出会い、迷い、苦しみ、感謝し、感動し、決断し、別れ、夢を抱き、怒り、涙を流し、笑い、憧れ・・・・。そこにいつも人が心がありました。それはまるで私を取り巻く一冊の詩集のようです。世界中が悲惨の極みにあっても、私はやはり美しい何かを作り続けるでしょう。美には希望があると信じています。この世界の醜さに美が勝ち始めたら、清清しい笑いが響きはじめたら。私はその時も変わらず、美しいものを創っているでしょう。この星はもっと美しい星のはずだと祈りながら。

2008年4月3日リリック創立20周年パフォーマンスの会場 大阪市立中央公会堂中ホール

(師走 東京)