Shingo Tokihiroのおしゃれ旅情

第五十一回
舞台と風と旅立ち

 新潟りゅーとぴあ、能楽堂シリーズ、ヨーロッパ公演ツアーは7月9日から8月10日までの一ヶ月をハンガリー、ルーマニア、モルドヴァ、ポーランド、ドイツの5カ国を巡り、6都市9公演をなしてきました。今回のおしゃれ旅情は折々に書き綴った日記と写真で、旅の情景と心情を浮かび上がらせていきましょう。

序章(旅立ち)

 成田に7:30分集合。ルフトハンザ航空でまずはフランクフルトへ。携帯には故郷、東京、関西に佐渡の友人たちから歓送メールは内容も様々。いつのまにか、こんなに増えてしまった出会いの結果を嬉しく感謝する。エコノミー席はテレビ画面が両通路の上にひとつずつ吊られている旧式のスタイル。しかも、一つは色調整が壊れていて紫と黄色がいやに目立つ画面に、なんとはなしにこれからの旅への期待を挫かれた感じ。サウンドのチャンネルは20。リラクゼーションのチャンネルでしばらくボォとして、オペラアリアのチャンネルで中国人のディーバたちの声に聴き入り、別のチャンネルで話題のピアニスト、Youndi Liの演奏技巧と解釈、自由で深い感性に唖然としてる。ある人が「時広さんからのメールは美と神様だらけ・・・・」といってましたっけ。 機はシベリア上空を飛んでいます。

7月10日


通りにもバルコニーからも花々が溢れているギュラの街

ヨーロッパでも最古といわれる中世の城
 ブタペストからギュラへ移動。広い空と続いているなだらかな丘は北海道をおもわせる。最初の公演地、ギュラは温泉保養地として有名な町で、高層建築もない、公園があちこちにあり、緑も多く、喧騒とは無縁な町。ホテルの近くには広大な温泉施設があるためだろうか、ホテルの近くには広大な敷地の温泉施設があるためだろうか、夕暮れ時には家族連れや避暑に来た同年代のグループが、夕涼みにあちこちのカフェやバー、レストランでたむろしている。人々の表情も穏やかでゆったりして、いかにも。この街で開催されているシェークスピアフェスティバルへの参加するのだが、ともかく、暑い。オフシーズンと言われている夏のフェスティバル。観客は来るのだろうか、などと心配していまう。聞いたこともないハンガリー語に囲まれながらも、ツアーメンバーとは日本語会話。そこだけは日本がそのまま存在している。メンバーの中には「早く公演したい。遊びに来たわけじゃないから。」とのたまう者もいる。確かに!ともかく一度やってみないと私たちも段取りが掴めないので不安だ。昼間の暑さか嘘のように夜は15~16度としのぎやすい。道の溢れる花々といくつもの教会、そして、町をつつむカリヨンの音。さあ、これから、どんな出会いが待っているのだろうか。

7月12日:ギュラ公演本番日

 小さな行き違い。主催者はハンガリー語の字幕を。こちらは英語の字幕を用意していた。二つを同時に映し出そうとしたところ、主催者はハンガリー語が見えないから8列まで座らせない!と、こちらの演出意図も聞かずに一方的にロープを張り、入らせないようにしたのだった。「どこに座るかは観客の自由ではないのか、演出的に前列8列もの空間があると芝居ができない」というこちらの意見は全く受け付けない。驚く私たちに「こんなことは初めてですね。」と、通訳でありコーディネーターでもある人もいう。

 ツアーの最初の公演からトラブル・・・。結局、ハンガリー語の字幕のみにすることで前列3列までになった。空調もない旧式のカルチャーセンターで上がった会場は暑く、それは舞台上も同じであったが、観客はその暑さの中で途中休憩後も、戻ってきて観劇を続けたのだった。そして、不思議なリズムの拍手。これも、いままで経験したことのないものだった。本当に感動しているのか、どうなのか。規律正しいといえばいいのだろうか。この拍手は他の公演でも同じであった。個人的にこの抑制した拍手は馴染めなかった。

 ハンガリーのルーマニアの国境近くの小さなギュラという町で、兎にも角にもツアーの幕は上がったのだ。

7月14日:オラーデア(ルーマニア)へ


ホテルのテラスからのオラーディアの夜景。夜、女性が一人歩いていても大丈夫というほど安全な街

アールヌーボー様式の建築物が独特な雰囲気を醸し出している街並み(オラーディア)
 いかにも避暑地らしい空気が流れていた町ギュラはしかし、仕事をするという意識が薄れていく開放感はあった。

 午後8時、オラーデアのコンチネンタルホテルに到着。といっても外の明るさは午後4時くらい。直ぐ傍らを流れる川面のうえ飛ぶ鳩の群れ、街のあちこちに建つ教会の尖塔や鐘楼が美しく、ギュラよりも大きく活気に溢れている。そして旧い町。歩いてみるとアールヌーボー様式の装飾を施した建物が通りをつくっている。お菓子のような配色の壁、絡まりあった草花の茎の曲線を感じるランプや手すりの流れるようなライン。どこまでも広い平原を旅して辿りついたこの街は、とても安全な街でもあるという。夜遅くとも普通に人々は歩いている。夜、昼の暑さの返礼のように雷鳴を伴った豪雨がこの街の上空で素晴らしいパフォーマンスを披露してくれた。一瞬バラ色に雲を染め抜いて走る光の柱。そして横殴りの雨、雨、雨。夜景の美しさも楽しめる私の部屋で、一人今日一日の旅を思い出していた。どこまでも続く向日葵ととうもろこし畑。最初、富良野を思っていたのだが、あのスケールを遥かにこえて私たちを乗せたバスはひたすら、ゆるやかな道をなだらかな道を広い空と白い雲を友として走ったのだった。

7月15日

 昨日が嘘のように寒い雨の模様の一日。本当に風邪をひくのではないかと。昨日の厳しい暑さからこうも変化するものか。舞台は設営も順調にすすみ夜はヘアー&メイクチームと衣装チームの4人でひと時、団欒の時を過ごす。

7月16日:オラーデア本番日

 夏はオフシーズン。だから観客動員が今ひとつすすまないとの主催者のコメントが。本来はオラーデア国立劇場で公演をするはずが、オフシーズンの改修工事のため、オラーデア文化の家、いわゆる市民ホールでの公演であった。やはり、空調はなく暑いけれどもキャストいわく、「観客の感動が伝わってきました」拍手も私たちに馴染みのある普通の拍手。それも熱い拍手が楽屋にも聞こえた。夜、主催者が打ち上げを準備してくれてその場で「本当に素晴らしい舞台だった。来年こそは国立劇場で是非、公演ができることを希望している」と挨拶していた。

 この街はハンガリーよりも英語も通じ、親切。明日も移動、一つ一つと巡りながら、その街を心に留めていこう。この舞台がなければ、私が衣装デザイナーでなければ人生のうちに訪れることもなかったであろう街々のことを。私は好きでしたこの街、オラーディア。

7月17日:クルジュ・ナポカ(ルーマニア)へ


私たちを圧倒したオペラ劇場ルチアン・ブラガ国立劇場。この舞台で(冬物語を)演じることできたのは、私にとっても幸せな経験だった

宿泊したのは街から車で30分ぐらい離れた湖に面したコテージ。日中は爽やかな風が吹き渡るが、夜は毛布が必要なくらいに気温が下がった
 トランシルバニアのほぼ中央に位置するこの街はオラーデアよりも大きく近代的で清潔な街。街の真ん中に自己主張の強い高層建築が建っていないだけ、落ち着いた空の広い街。この街の最も高いものはゴシック様式のカソリック教会聖ミハイ教会の尖塔ではないだろうか。強い日差しと爽やかな風。熱いけれども過ごし易い。会場はルチアン・ブラガ国立劇場、本格的なオペラ劇場で1915年のアイーダが?落としの演目だったとか。本来ならば、改修する予定をこの公演の為に延長して、私たちを待っていてくれたのだという。劇場に入り、舞台を見た途端に「凄〜い!」とキャストやスタッフからも声が上がる。一人のキャストが「時広さんの衣装はここにぴったりですね」私は特別な何かを感じていた。歴史なのだろうか、ここで演じてきた人々の魂たちなのだろうか。

7月18日:出会う

 クルジュ ナポカの公演の主催者のマリウス氏はとても明るく気さくな人。彼の友人の画家で映像作家でもあるギリシア人デュオニシス。彼の映像作品に参加している女優らが私を自宅でのランチへ招待してくれた。そしてマリウス氏手作りの民族料理にワイン、彼らは作品集を見て興味を抱いてくれてそこで持参したDVDを観ながら何度も「美しい」を連発してくれたのだった。たどたどしい英語での会話。そして、彼らから一緒に仕事をしようという誘いが。それは後日具体的な企画となって、帰国した私の元へ届くことになる・・・。

7月19日:本番

 当初、2階席までしかチケットが売れず、予算的にも厳しいといっていた主催者側だったが、ふたを開けてみると何と4階席まで一杯の観客の相成り嬉しい誤算。上の階から字幕が見えないので何とかして欲しいという要求がきたり。裏方はバタバタしながらも舞台は喚声と拍手の中無事に終了。打ち上げは成功の喜びと共に盛り上がっていった。が、私の心はそれとは別の思いに沈んでいた。衣装デザイナーとしてのプライドが招く愚かな思い。私は思っていた(記者会見にまで衣装デザイナーとして出席して、衣装のコメントまでした私を、演出家は舞台に上げないのか。フィナーレで呼び込むといっていたのに)打ち上げの場で現地の友人たちが「シンゴに拍手したいと思っていたのに、どうして舞台にでなかったのか」と言われることが一層、心に落胆の影を濃くする。また、2年前のクライオーヴァでの思い出が甦ってくる。

7月20日:ポトシャニへ移動

 クルジュでの舞台以来、私の心は頑なになり、全てのことに義務としてやることする。

7月22日


今回の旅の道ずれ、向日葵畑。 丘の斜面を埋める向日葵はそのまま空へむかって伸びていくようで・・・。
 私は自分が傲慢なのか、それとも、この舞台の魅力をこれまで支えてきた衣装デザイナーの功績に対する当然の要求なのかと煩悶していた。一人、ホテルの部屋で考えながら、祈りながらいたらポッと、「そうだ!自分が舞台に出ると思うから苦しんでいる、このツアーは自分は最初から舞台に出ないものだったと思おう」と気付いた途端、デザイナーとしての扱い云々はどうでも良くなった。憑き物が取れたように楽になった。そして、舞台監督、照明、音響のデザイナー、映像のスタッフたち、彼らはどこまでも影で支えながら、どんな賞賛も直接うけることはない。

 素晴らしい舞台を創り上げることだけを純粋に誇りとしている人間たち。彼らのことを思うと自分の要求の何と些末なことよと苦笑いしたのだった。このツアーで私が果たしたい目的は既にひとつ達成しているではないか。それだけでも感謝なのに。何を要求できる?私は晴れやかに劇場へ向かう。

 この夜、私は初めてフィナーレで舞台に招きいれられることになった。

7月23日:オフ

 ルーマニア正教の三つの僧院を訪れる。外壁に描かれたフレスコ画が特徴。ルーマニア独立の英雄、シュテファン チェルマーレ大公のお墓にも詣でる。


山越えの途上で見えた山上の十字架。そういえば、2年前も岩山の上に十字架を見たことがあった。信仰心の篤さと祈りの深さと救いへの限りない希望なのだろうか
7月24日:キシノウ(モルドヴァ)

 私たちは余り知らないが、モルドヴァは世界に存在する南北朝鮮と同じのような分断国家。しかも世界の最貧国家とまで言われている国。しかし、実際の目にした自然の美しさ、劇場の素晴らしさ、整然とした町並みはその噂が嘘のような気がしてくる。芸術文化に対する価値、重要性の高い認識は世界有数の経済大国のN国はもっともっと見習うべきと実感させられる。もちろん、現実には政治、経済を含め多くの問題は抱えているのだろうけれど。

 こちらでの公演の招待者は俳優としても演出家としても有名なぺトル ヴトカレウ氏(ウジェーヌ イヨネスコ劇場)。ここではルーマニア語とロシア語の字幕の公演。

7月:27日:ロシア語字幕公演

 2日間の公演終了後、ペトル氏と劇団のメンバーが手作りの打ち上げパーティ。挨拶で「舞台はほんの一瞬の輝きで、その実現のために私たち演劇人は大変な苦労をしていることを私たちも知っています。今ここに、言葉も肌の色も違う人間たちが集っていますが、私たちは演劇を愛する家族です。この舞台成功の幸福は大統領も感じていないかもしれません。」 心に感銘を受けるその言葉は偽りない実践の中から自分で見つけ出したものだから。ここにいることの幸せを感謝した。

 宴はその後、踊りに唄に大いに盛り上がり、(ファミリー)はさらに華のような時間を過ごしたのだった。

7月28日:オフ

7月29日・30日・31日:グダンスク(ポーランド)

 移動移動移動!バスで毎日15時間以上揺られながら、山越え、国越えの3日間。人間は不思議なもので、あの座席が最初は狭く感じていたのに終わり頃には意外と居心地がよいスペースになったこと。トイレに食事、どうやって時間をつぶすかが、問題。バス中は自然と小グループに分かれてしりとりしたり、雑談したり、寝てたり・・・・。私もしりとりに参加したりするけれども世代のギャップを痛感することになる。長く一緒にいれば、顔は知っているけれども話したことのないスタッフたちとも交流ができて、「同じ釜の飯を喰う」ことから生まれる連帯感を、久しぶりに感じて楽しくなった。モルドヴァから、ルーマニア、チェコを経由してポーランド。文字通り「丘の国」だった。

8月2日:グダンスク仕込

8月3日・4日:本番


グダンスク(ポーランド)の聖母マリア教会の尖塔から眺めた美しい街の景色
 グダンスクに着いたのは夜。今までの風景とは違った光に浮かび上がる建物群がみせる北の風景。この街でシェイククスピアフェスティバル中2日間の公演。第二次大戦の時にナチスの重要な港町であったため、街の95%が爆撃で廃墟になったが、市民たちの努力によって見事に復興した。また、琥珀の加工としても世界的に有名でこれでもかというほど、店からテントにいたるまで所狭しと琥珀、琥珀。キリスト教の聖人の祭日、アンティークフェスティバルと一時の開催で、もう街は溢れんばかりの人人人。観光地らしく見るべきものはあちこちある。

8月5日:オフ


宿泊したのは音楽大学の宿舎。ポーランドでは夏季休暇の間、このように観光客などに部屋を貸し出したりするのだそうだ。荷物は全くなく、清潔でシイプルな部屋は居心地もよかった
 キャストたちはワークショップの為に出かけた。私は一人で街を散策している。建物の彫刻にスカーフの図案のヒントをもらったり、建物のそのものに衣装のインスピレーションを得たり、もともと一人旅が好きな性格がここにきて爆発。カメラをもってあっちで、こっちで印象的な風景を撮る。

 ポーランドの主催者のやり方に戸惑ったり、憤ったりしながらも、自分たちの枠の中で物事を判断しようとしていることに気付く。「ポーランドの人たちは個人は優秀なんですよ。でも、みんなでプロジェクトを組んでやろうとするとうまくいかない。かつてはポーランドの人々は一生懸命やる人たちだったんだけれど、こつこつ築いてきたものを突然、近隣の国々に奪われてしまう歴史の中で、自分だけを大切にするようになった」と話す。もちろん、それが全体を表してはいなのだろうが、国民性を形づくる上での歴史。島国に生まれた私たちには理解できない、地続きの国同士の領土争い。ポーランドの人々の悲しい歴史を垣間見たようだった。そして、中学生でならった(最後の授業)という話を思い出していた。

8月6日:ベルリン(ドイツ)

8月7日:ノイス(ドイツ)


グダンスクからドイツのノイスへの途上に一泊したベルリン。東ドイツを向いているブランデンブルグ門の女神。そして、東西ドイツを隔てていた壁の意外なほどの低さに一層心が痛み、人間の愚かさに涙する

ノイスの劇場そばのゲストルームは陽気なディスプレイでシェイクスピア フェスティバル気分をさらに盛り立ててくれた
 アウトバーンで最後の公演地ノイスへ。東欧の道から比べれば余りにも全てがスムーズ。道も、トイレも同時に日本と同じようになってくる。先進国というものはこういうものなのだろう。窓の向こうには向日葵畑もトウモロコシ畑もない。代わって松と白樺と背高アワダチ草になった。もう27日間をヨーロッパで過ごしている。夏の終わりが見えてくる。

8月9日:本番

 このこじんまりとした安全で人が生活にふさわしいようにスケールの街、ノイス。競馬場に隣接したグローブ座。今年で18回目(ドイツでは成人になる年)。スタッフも明るく、何よりも若くてきぱきと動く。この日の公演は2ヶ月前にチケットがSOLD OUT!するぐらいに人気も高く、期待度も高い。フェスティバルに参加している他のカンパニーも力あるところばかり。そのような中でフィナーレは割れんばかりの拍手、雷のような足踏みの音に包まれた。大成功だった。

 今回のツアーは私個人にとって大きな教育の場であった。私自身の内面の弱さと強さを、醜さも含めて教えられた。

8月22日:新潟凱旋公演

 フィナーレにはこのシリーズを支えてきた2人の新潟のプランナー後藤信子(美術)、佐藤圭(ヘアー&メイクアップ)が登場した。一回り大きくなったこのシリーズが、これから何処にいこうとするのか。キャスト、演出家と共に新潟の観客の温かい拍手と掛け声を浴びながら、心の中でシェイクスピアに尋ねている私だった。