Shingo Tokihiroのおしゃれ旅情

第五十二回
往く時間(とき)を眺めている瞳


萩から松江へむかう山陰本線の車窓から見える日本海の海辺の町

地元の観覧車から眺めた故郷、宇部の街
 十月も旅でした。徳島、佐渡、宇部、下関、萩、松江、出雲、京都、敦賀、福井、糸魚川 そして 佐渡。訪れる先々で待っている打ち合わせやリハーサル、仮縫いなどなど。移動はいつも一人。車窓や飛行機から眺めているその土地の風景。通勤・通学時間であれば、青春時代の若者たちやサラリーマン、昼下がりは地元の婦人達や行商人、私だけがまるで違う世界から別の世界を見ているような錯覚に陥ることがありました。

 夢のような・・・。いいえ、そこに複数の人間がいて仕事となれば色々あります。その場へ捨てていきたい気持ち、熱い気持ち、大切に心にしまう気持ち、万華鏡のように交差する感情が私の心を掻き乱したり、平穏に導いたりしてくれます。一日毎に場所を変えながら、ふと、気がつけば目の前には秋の穏やかな海が広がり、紅葉を始めた山々の稜線が、光と戯れる湖面が私に語りかけてくれるよう。孤独?いいえ、幸せ、満たされた感覚。見ることも触れることもできない時間というものを私は過ぎさる美しい風景の向こうに見ていたのかもしれません。長い旅を終えてリリックのあるいつもの駅に降り立ったとき感じた(また通り過ぎていく街に辿りついた)という旅人特有の感情。拘らない、流れていくままにして執着しない、どこかしら達観している自分。人まかせ風まかせ。

漢の時代の陶器。その美的感覚とユーモアと造形力!(萩・山口)

数年間にたべて忘れられなかった味はこの店のうなぎの蒲焼き(松江・島根)
今回の旅で思い出すのはいつも、移動中の空や雲の形、木漏れ日の、月のかたちでばかりで、打ち合わせの記憶が印象が薄いのです。今年の神無月は53回目の誕生月でした。今は窓も開かない列車に乗りながら、ある人が「くるものは拒まず、去るものは追わずだよ。」と御自分の仕事の姿勢を話してくれたことを思い出す。

約束を忘れずにいてくれた友人からの指環(敦賀・福井)

シンプルな部屋が逆に旅情を掻き立てる(糸魚川・新潟)

長かった旅の最後の地で見つけた秋(宿根町・佐渡)
激しい競争社会を乗り越えてそのような境地に至ったということなのでしょう。では、自分は?「くるものも選び、去るものもときに追いかける」そんな姿勢だったでしょうか。その結果は私の仕事の評価になっています。多分、これからも変わらないでしょう。たとえ追いかけても無駄とわかっていても、自分が納得いくまで追いかけていく。先日、ある芸能人が「私は仕事の無い辛さ、惨めさを知っているのでどんな仕事でもうけます!」とインタビューで答えていました。凄いなと感じる一方で、私にはできない。人は人、自分とは違うという思いが湧いてくる。

 旅の途上で、携帯に入ってくる仕事以外に予期せぬひとの死や歓びのニュース、恋の悩みに、仕事の悩みなどなど、きっと、私の携帯電話の中を覗けば人生のカーニバルみたいに色んな花火が上がっているに違いありません。

 移動の時間がつづけば、私の性根みたいなものが自然と現れてきます。それは、「無常観」。つらいことがあれば、(方丈記)の冒頭を読んでは慰めていたし、平家物語の冒頭の「祇園精舎の鐘の声・・・」を諳んじていた青春時代でした。時に対しての絶対的な信頼がある、そんな気がしています。生きている「この世」から、彼岸の世界にまで思いは自然と広がっていき、「死」が他人事ではなく、自分のこととして実感できるようになってきたこと。それは紛れも無い現実で、私は恐怖や暗いものと思わない。むしろ救いとか希望と感じています。

 アトリエで特別にプライベートなセールをしています。訪れて下さった方たちは今回のセールに「縁」がある方たち。接客のうちにもその数だけドラマがあります。今日こられたアーティストは11月に舞台をご一緒する。彼が「音楽や舞踊だけでなく、衣装で完成していく舞台なんて楽しみだなあ。時広さんは神様がついているから大丈夫?!」と。きっと私がいつも「美の神様」と呪文のように唱えているからなんでしょう。限りなく続く出会い。お客様をおくり一人アトリエで、行き交う車の音やクラクションを聞きながら私は今日も旅を続けています。微笑む時間(とき)を友として。

(神無月 東京)