Shingo Tokihiroのおしゃれ旅情

第六十一回
黄金の五日間と湖底の街、そして これから


佐渡から日本海に沈む夕陽

佐渡のお宿 花の木の庭に飾った衣装
 この原稿を書いている11月19日は冷たい雨が降っています。あっという間の10月末から今日までの日々。ただ、この胸に何かしら熱いものが留まっている。それが一体何のか、記憶をたどりながら探してみましょう。

 10月28日レンタカーで早朝、まだ暗いうちに東京を出発。目指すは佐渡島、宿根木にある宿〔花の木〕。28日の夜にここで催される花の木コンサートで、パフォーマンスをする。テーマは〔はるかなる潮騒に聴く 母の歌〕。女将は〔31日のりゅーとぴあの舞台のリハーサルのつもりで・・・〕とお話くださったのだけれど、その土地、その場所でしか観ることも感じることもできない世界を創ることを旨としてきた私としては、女将のご親切に感謝しながらも、やはり、〔一期一会〕の舞台にこだわらざるをえなかった。

 雲ひとつ無い空、勢いをもって昇ってくる太陽の光を受けながらひた走る。運転するのは俳優でもある南拓哉さん。車内には私の愛する衣装や小物たち。それはまるで昨年4月と同じ状態だった。ただ春と秋の違いはあったけれど、片や桜花、片や紅葉の美しい季節の中をいく。少しずつ自分が高揚していくのがわかる。祝福されている。そんな感謝がこみ上げてくる。新潟市で俳優の河内大和さんを乗せて佐渡海峡を渡り、花の木に着く前に日本海に沈む夕陽を楽しんで、到着。

 宿はこのパフォーマンスの朗読のためにお願いした女優の人村朱美さん、モデルの亜希子さんも到着。早速衣装のチェック。亜希子さん、南君、河内君はりゅーとぴあの舞台に出るけれど、同じ衣装は着ない。それは鼓童の小島千絵子さんも藤本容子さんも同じだ。この花の木のコンサートに来られた縁ある人だけが感受できる美の時間。

 10月29日 朝から、庭に衣装を飾りつけ、舞台の設営、段取り、動きのチェックなど煩雑な用をこなしながらも、不思議にスムーズにことが進んでいく。それには鼓童のスタッフの方たちの協力が大きい。ゲネで思わず涙してしまったのはどうしてだろう。

 人村さんのテキストへの深い理解に裏打ちされた圧倒的な朗読で命を吹き込まれた森鴎外作〔山椒大夫〕の直江津・母子別れの段・佐渡島、厨子王と母の再会の段、中空一作〔幻聴〕照葉と美女の会話に、親子の絆と命の脆さに、存在の儚さに深く感じたからかもしれない。もちろん、本番は夢のような時間となり、今まで見たことも無い世界に観客は包まれ、出演者もキャストも深く心に感じたものがあった、この日撮影するスタッフがおらず、この場に居合わせた人間の心にだけ残る文字とおり幻の舞台となったのだった。それが佐渡で初めての私の世界のお披露目。


パフォーマンス翌朝 新潟出発前に〔花の木〕の玄関で、女将と
 10月31日、本番の朝。私の世界を観ていただく初めてのチャンス。新潟りゅーとぴあ能舞台の上には出演者、スタッフが全員座っていた。客席から彼らに向かって口を開いた。「皆さんに謝らなければならないことがあります。昨夜、ホテルに戻りゲネの様子を思い出そうと思いましたが、なに一つ思い出せませんでした。思い出せたのは竹林と飾った衣装、三人のメンバーと何もない舞台だけ。理由がわからず七転八倒して、このパフォーマンスを企画したこと自体が間違っていたのかとも思いました。でも、儲けとか、自分の名を上げるためにこのパフォーマンスを考えたのではないのは真実です。キャリアのある人ほど、全く印象に残っていません。今一度、初心に戻り背負っている看板をはずし、それぞれの道で生きていこうと思ったときを思い出して能楽堂の舞台に立っていただきたい。私の傲慢さが皆さんにご迷惑をおかけして本当に申し訳ありません。」と頭を下げている自分。能楽堂が舞台ではなく、宇宙であり、恐さを思い知らされた時だった。それを感謝する自分だった。

 そして・・・・・・・

 華のような舞台が現れた。舞台の上だけでなく、楽屋でも、どこでも私の知らないところで、様々なドラマが生まれたようだった。個人としての舞台との関わり方への再考であったり、表現者としての真の実力を問われる機会となったり、あるいは新しい出会いや、壊れた絆の修復であったり・・・。一人で創り上げたのではない、新潟での5年間の絆と人々の心が一つになって創り上げた舞台。予定された舞台だったのかもしれない。ただ機会をつくっただけ。


能楽堂でのパフォーマンスが終わり、ホッとした記念写真!
 私は欲深い者だとつくづく思います。ディレクターとして自分の表現したい世界を、こんなにも心から楽しんで協力してくれるパオフォーマーやスタッフ、アーティストに恵まれているのですから。この上ない幸福を感じながらも、プロデューサーとして興行的に負債を負ったことに対する不満。光と影のような二人が私の中で葛藤して苦しませるけれど、いつも私は自問している。〔誰にも頼まれたわけではない。何のためにこんなことやっている?〕すると〔美の種を蒔くために。荒んだ世界に美ができることを信じて〕と答えが返ってくる。じゃあ、やるしかないね。美の神様が時広にもうお前は必要ないと言われるまでは。

 回を重ねるたびに高くなる骨身を削る精神的肉体的なハードル。舞台の構成・演出・衣装デザインは当然のこと。チケット、フライヤーのデザインから始まり、弁当の手配、出演者の交通手段のチケットから宿泊の手配、経費の計算等を一人でこなすことに疲れと孤独がついてくる。次はもっとハードなことが待っているかと思うだけで震えがくるのです。正直もう止めたい。止めても誰も何にも言わないのだから。しかし止められない。もしかしたら〔天職〕と出合った者の運命かもしれないとも思う。

  中空一さんの(春の詩)の一節

  春がゆっくり私を抱きしめて
  力なく倒れた私の口から花々をこぼれさせる
  朽ちていきたいと願うのだけれど
  春は今年も私に生命の冠を私に授けようとする

が心に沁みます。


東京へもどる道すがら、眺めた紅葉の山々
 でも、これ以上にさまざまな障害?!を乗り越えて見事に夢を追い続けている人々が、私の周りにたくさんいることが、救いになっています。

 今回のパフォーマンスも〔媚びることなく、迎合もせず、妥協もせず〕やり終えたことが舞台の神様に捧げる〔香華〕となりました。パフォーマンスを実現したことで、また新しい出会いと夢が生まれたことも。

 よく変わっているとか、自分の周りにはいない人と言われます。これが衣装デザイナー時広真吾です。いつでも、どこでもあるがまま。このところ〔本当に私幸せだなあ。〕が口癖です。親しい友人に〔時広さん、耳にタコができました。〕と言われましたっけ・・。


人通りの絶えた街に、花のように浮かぶショウウインドウ
 これまで何度か、書いてきた故郷のこと。日本の各地で起きている昔の繁華街が往年の面影をさえ見ることができないほどに寂れきっている現実。私の街も例に漏れず、帰郷するたびに、その度合いは深刻になっています。百数十件を数えた店も開いているのは十店舗ほど。通りを歩く人は老人たち。〔シャッター通り〕になった通りは、人々の関心からも離れていく。

 いつかきっと時代はまた・・・と希望を失わないようにしなければとつとめるけれど、目の前の現実を突きつけられては、その思いも沈みがちになる。

 私は実家に戻るたびにショウウインドウを自分の衣装で飾る。まるで寂れていくだけの通りにあまりにもふさわしくない衣装たち。まるで、現実を無視した夢のような世界。日が暮れれば、人通りがあっという間に人影はなくなり、静かな通りにウインドウの明かりだけが置き忘れた思い出のように浮かんでいる。湖底に沈んだ街。忘れられた街。そこで商売をしていく厳しさ。数少ない通行人たちは、突然現れたウインドウの楽しい世界に足を止める。

 老人たちは若き日の生き生きとした時代を想い、小さな子供たちは〔綺麗!〕と叫んで瞳をきらきらさせてじっと眺めている。

 変わらないこと。世の中の景気がどうであれ、おしゃれは夢。夢は現実の浸食を受けない。不況ゆえに荒んでいく人々の心。かつて地域一番店としてクウォリティー高いモードを提供してきたというプライドを、ウインドウという店の〔顔〕で美しく見せる。それはこの街で育ち、衣装デザイナーとして生きる私からのささやかなエールでもあるのです。夢は枯れない。私は信じています。

(霜月:東京)