Shingo Tokihiroのおしゃれ旅情

第六十二回
未来という希望と美の種そしてつづいてゆく道


雪の中の新潟市 この日は晴れました……
 霜月の終わりから、タイ・ベトナムで学生を中心とした舞台衣装のワークショップで巡りました。今回は「結」というプロジェクトで、リーディング・ダンス・舞台衣装のワークショップ二日間で3つのパフォーマンスを披露する。別のプロジェクトも含め海外ワークショップはこれで3回目。韓国、フィリピン、マレーシアとアジアを中心とした国々。深く心に感じたこと。〔いつでもどこでも私自身の信条をもっていけば、国が変わっても通じていく〕ということでした。さあ、泣いて、笑って、悩み、感動した旅の記録です。

 何故か、ツアー始まりの実感の無いまま空港へ。早朝出発のため空港近くのホテルに泊まる。目覚めれば窓外は美しい紅葉に朝日が当たる初冬の美しい日本の風景。結のメンバーは制作:山崎亜季さん、テキスト・リーディング・演出の高見亮子さん、ダンス・振り付けの三枝はなさん、衣装のアシスタントとして高橋桂さんと私の5人。初めてのメンバーなのに早くも打ち解けている。それが救い。荷物のトラブルもなくスムーズに空の人に。冬から夏に・・・・・。


チェンマイの目抜通りに集まった多くの僧侶たち

ワークショップと公演が終わりいただいた花のレイ

ウボン ラチャタニーにある寺院

屋外で衣装制作をするバンコクの学生たち
 旅はタイのチェンマイから始まり、ウボン ラチャトニー、バンコックそしてベトナムはハノイで終わる。それぞれの土地の大学生を参加者にしたプロジェクトは、また、それぞれの土地柄をも反映していたように思う。タイは〔微笑みの国〕のキャッチフレーズの如く、全てにおいて穏やかでした。いつもニコニコと笑っている。その優しい表情はあの国(暑さ)とも関係がるかも知れません。時間に対する考え方を含め、いろんな意味でゆるやかで。これはスタッフが聞いた話。パフォーマンスの本番のときに来ない参加者がいて、どうしたのか?と聞いたところ。参加者は最初から本番に来れないことはわかっていた。「でも、」と向こうの通訳が説明したことには「最初から本番に参加できないことを言って先生を悲しませ、本番に参加できないことで二度先生を悲しませることになるので、言わないんです・・・・」当日の段取りにあたふたしている私たちに、そのエピソードは国の違い、習慣の違いをまざまざと教えられた瞬間でも合ったのです。

 私のワークショップの内容は一枚の布を、上演する三つの物語からイメージし、切る、描く、切って描くの三つのテクニックで表現するというもの。それと私の衣装に使用している日本の着物や帯の歴史、技術の解説。このスタイル変わらず、国内外の何処でも歓迎される内容です。シンプルで分かりやすく、今までとは違う衣装の作り方。参加者が一様に目をキラキラさせて布の上に自分のイメージを描いたり、あれこれ悩みながらどう着せるかを試行錯誤している様子を思い出します。

 12月1日昨夜からウボン ラチャタニ―に。チェンマイよりも小さな地方の中堅都市。着いた夜、メコン川(この辺りでは月の川と呼んでいる。)のそばのレストランで、ゆるやかな川音を聞きながら大学主催者たちとのディナー。この街は犯罪も少なく、メディテーションセンターがあることでも有名なのだそうだ。英語とタイ語、日本語が飛び交う和やかな時間。それは素朴な温もりがありました。私たちを世話してくださったチャー先生はテキスタイルの研究家で、中国系のタイ人で仕草もしなやかでどこまでも穏やか。

 この国に来てから朝は聞きなれない鳥の声で目が覚めている。チェンマイについた翌朝は道路に多くの僧侶が列を成している。この国の南の方で起きている自主独立運動のために寺院から出ることのできない僧侶や僻地の孤児院などに物資の援助をするために集まったのだという。その数1万人。彼らが纏う黄色い大地の色の衣装に、多くの人がお米やお菓子など寄進をする姿は、私たちの国では中々見ることができない。それ程に仏教が深く日常生活の中に根付いている。かつて、日本もこんな時代があったのでは。


ワークショップとパフォーマンスの会場に展示された衣装 バンコク

バイクが半端じゃない数の道道 ハノイ
 それから、タイの人々が愛している存在が、国王。リハーサルのときに間違って、国歌を流してしまったときに、先ほどまでふざけ遊んでいた参加者たちが一斉に立ち上がり、頭をさげる。それはどこの町でもどんな若者、老人を問わずに同じなのでした。以前のツアーでもそうでしたが、パフォーマンスをする前にはその国の国歌を必ず流します。でも、日本からいくグループの中には日本の国歌を流すことをよしとしないで、議論をすることもあります。ある人は「あれは天皇のことを褒め称えているんだよ。そんなのには同意できない。」と言います。二つの国の友好の証としての国歌を流すことが大切なのに、「イデオロギー」を守るということなのでしょうか?では、国歌の代わりに何を流すのでしょう。相手の国の人々はどう思うのでしょうか。そんなことまで気にしないといけないことに、私は自分たちの「島国」を思うのです。日本人であることより、「個」を優先できるほどに平和な国を。

 バンコクは数年前に訪れたことがあります。友人のバティック作家アヌロー タンティアポン氏のアトリエにお邪魔したのです。あれから、高層ビルが建ち並び文字通りの都市に変貌しているバンコク。参加者は日本でいう東京大学のように高い教育うけていて、経済力もある家の子女たち。垢抜けたスタイリングは東京の渋谷、原宿でも十分通じるセンスを身に着けています。が、何より驚いたのは、彼らの集中力!日本の衣装、テキスタイルの説明をしているときも次々と質問をしてきます。また、身を乗り出すように話を聴きメモをとっていきます。こうなったら教える側ももっと教えてあげようと気持ちに熱がこもってきます。衣装のワークショップはスペースの関係上、屋外での作業でしたが、暑い昼下がり(摂氏25~35度)、これまでの経験上 なるべく休憩をとりながら、という私のアドバイスもどこ吹く風。自分が納得できるまでその手を休めません。こんな経験は他ではないことでした。一流大学と評価される意味の理由を教える側から実感した次第です。

 ハノイ国際空港からハノイの街中に続く高速道路をひた走る車の両脇に広がる田園風景はこれまで見たことの無い不思議な郷愁を誘うものがありました。やがて、バイクのオンパレード、二人の乗りから、三人、四人果ては鶏から、子豚までバイク・バイク・バイクそしてクラクション!日本では車でさえクラクションをなるべく鳴らさないのに。こちら自己主張するようにあちこちで鳴らしています。もし、日本の暴走族がこのハノイに来たら気圧されるのではないかというくらい。そして、老人がすくない。若者に溢れている。あの、長い戦争の傷は旅人の私の目には入らない。

 「未来に希望があると信じている国民が全体の75%で、世界で一番未来に希望を持っている国なんです。」という。

 衣装のワークショップのメンバーに向かって「皆さんはこのワークショップに自分の意思で参加したといいましたね。その言葉を信じてワークショップをしようとしているのに、こんなにそれぞれが勝手に行動し、まとまりがなかったら、私はどうすればいいのでしょう。あなた方の言葉を信じたいのに信じられない私はどうすればいいのでしょう。もし、私の講義がいやなら出て行ってくれてかまいません。明日はもうパフォーマンスを披露しなければなりません。時間もなく、皆さんと私が心を一つにしないでどうしてできるでしょう。」講義中も部屋を自由に出入りしたり、講義も聴かず話したり・・。どうしようもなくなった私はその時の気持ちを素直に話したのでした。

 講義室は静かになりました。「一緒にやりますか?」皆が手を上げる。熱いものが上ってきます。「心ひとつにして、美しい衣装をつくりましょう。」それからは時間も守り、みんなの心も一つになっていったと思います。素晴しいワークショップ&そしてパフォーマンス。


招かれた学生たちの打ち上げ

ハノイの中心にある湖と大亀の廟
 パフォーマンス後は大ブレイク&記念撮影大会。それから、学生たちから是非、先生を打ち上げにおよびしたいと・・・・。日本の屋台だが、こちらでは路上、閉店した店の前に小さな椅子で座り宴会。何度も繰り返される乾杯、乾杯!明日は帰国する夜。生徒たちからこんなにも熱い気持ちをもらえるなんて。中々終わらない宴に、「そろそろホテルに戻らないと・・・」とスタッフの一人。

「では、私のこのカップに皆さんの願いをそっと入れてください。」生徒たちは次々とカップに誰にもわからないように願い事を話す。一巡りして戻ってきたカップ。「じゃあ、皆の夢が叶うように一気に飲み干します!」

 今、私の体には彼らの希望がキラキラした希望が流れています。

12月9日:ツアー最後の日。飛行機は深夜の便。ハノイの街をメンバーと散策した後に一人に。湖沿いのレストランで一人、夕暮れを待っています。他のメンバーは市場に行ったり、買い物にいったりと自由気ままです。この湖はかつてハノイが敵に征服されそうになったときに、湖に棲む大きな亀が英雄に剣を与え、その剣で戦い見事に勝利して、再びその剣を湖に還し、記念して廟を建てたのだとか。毎日が目まぐるしく動き移動するスケールをこなしながら、こうして、湖面を渡る風を感じながら、私らしい時間をもてたことを幸いに思う。

約2週間の旅。いろんな若者に会いました。理解できないことも多くありました。でも、根っこは「純粋」でした。それは国や時代を超えています。「若いこと。」の特権でしょうか。長く生きることで知らない内に溜まっている澱のような、錆のようなもの。彼らの未熟さゆえの限りない可能性を信じぬく戦い、努力の結果。私自身何か軽くなった気がしています。

帰国したその日。ハノイの学生から写真を添付したメールが届いていました。「We miss you・・・」の一文と共に。           感謝。

 今年、最後の旅先は新潟です。25年ぶりの大雪に見舞われた新潟市。09年の最初の旅も新潟でした。雑誌のインタビューを終え一人ホテルで休みながら、これからこの街とどんな付き合いが広がっていくのだろう。ご縁は一旦はきれるかと思っていたら、2010年からはさらに大きく私らしくこの街と関わっていくようだ。そして、世界とも。

 また、国内では「美の種」のプロジェクトを開始しようと準備中。本当の美とは、私にとって人間であることの喜びを自覚させるもの。これまでの人生でお世話になった場所、ゆかりある地を訪ねてその土地のパフォーマーやアーティストたちと創り上げて行く。ささやか、でも 熱いパフォーマンスです。あくまでも予定ですが、場所は長崎、下関、宇部、松江、新見、徳島、大阪、京都、敦賀、福井、東京、新潟、佐渡を考えています。言葉の美しさと衣装の美しさに加えて、各地の様々なパフォーマーと創りだす美の力。それは私のささやかな種撒きです。あのタイとベトナムのツアーを経験して、改めてこの歳だからこそしなければならない未来への責任を感じて。

 来年もまた「美の力」を信じて生きていきます。

(2009年12月24日 東京)