Shingo Tokihiroのおしゃれ旅情

第六十三回
美の種の力と人の心

 2010年、新しい年は新潟から始まり、山口に終わりました。

 考えられないほどの収穫と出会い、可能性を[美の種を蒔く旅]はもたらしてくれました。新しい事が始まる時には別れもまた…。[来るモノは選び、去るモノは追いかける]時広も運命の力には抗えません。新しい段階に上るときに、古い自分とも別れを。この期間に象徴的に起きた別れと再会と出発。心の中で幾つかのさようならを告げて、既に新しく出発している時広は、美の神様と共にこれまで以上に多くの人びとと絆を結んで花開かせようと決意して私の創造の基地東京へ帰ります。

携帯の「旅メール」から


旅の始まりの地 佐渡・両津港に船が入るときに虹が立ち上がってきました
 世の中が荒んできて、人々が目の前のことだけを追い求め始め、形あるものだけを価値しして、目に見えないものを軽んじるような風潮を思うとき、私はいったい何ができるのだろうかと思い始めていました。私が縁をもってきた土地のパフォーマーやアーティストたちと育て創り上げていく世界。

 北国から西国まで、こんな企画を考えているのだけれどどう思う?と意見を尋ねていくつもりが、次々に会場と日時が決まっていくのでした。中には出演者まで決定するのに2時間しかかからなかった町もあるのです。


夕暮れの越前の海岸を走る


三重県鈴鹿の山懐に抱かれた東海道の関の宿場。観光ずれしていないゆったりとして空気が流れていた

 ある話は一年近くかけても、うやむやになって終わってしまうものもあるのに。この「美の種を蒔く」プロジェクトはまるで、予定されたかのように決まっていくのです。そのために尽力してくださる土地土地の人々と、知らない間に結んでいた絆。目の前で開催日時や会場や、知人のアーティストたちの名を上げながら、あれこれと話し合っておられる姿に、この企画が時広真吾という「個人」のプロジェクトではなく、公のものなっていることを知らされるのです。そして、そんなきっかけを作る役目を与えていただいたことに感謝するのです。

 旅の途中にあれこれノートに書き綴ったものを。

・・会えた事で、心の糸が絡んで。不思議な力で終わってしまう。儚いと知っていても今はこの感じを愛していこう。

 長いトンネル。抜けるまでに私の心も雪の世界から現実の世界に、冬の太陽が降り注がれた大気に。 私自身が、今こうしてあることこそ、優しい心のあなたに会えたから。


私の好きな伊吹山(滋賀県)は、雪の肌を夕陽にほんのり染めて、帰途につく私を励ましてくれているようだった


山口の宇部は久しぶりの大雪に見舞われたけれど、昼は抜けるような青空に歌のように雪が舞っていた

 新潟から敦賀へ特急で約5時間。この座席が私のサロン。食べてまどろんで、詩を書いて、企画を練って。会いたい人、会えない人、会おうとする人、会ってくれる人。同じ出会いでもその温度は違います。相手にとっての「私」の重さなのかも。佐渡も新潟も海沿いには雪がなく、この原稿を書いている今、黒部の立山連峰は雪をかぶっています。いつからか、「晴れ男」になり、過密なスケジュールが天候や天災、人災に阻まれたことがありません。不思議にスムーズに移動できてしまうのです。 同行二人。一人旅ではあっても、今回は美の種を蒔くために、その土地土地を耕すこと、美の神と共に探し求め確認する旅。

 一車両に二、三人か座っていない北陸を日本海側を行く列車。見慣れない風景を展開しています。山々は奥田元宋の水墨画のようです。かつて、何度も通った土地を今は通り過ぎていく。あの頃、縁あった人々のその後を知る術もいまありません。 記憶を旅する時間にもなります。

 夕陽は山並みの向こうへ落ちて、降りてきた淡いブルーが世界を包み込み始めます。でも、遠く妖精達の光のように、天空の群星のように見えるのはスキー場だろうか。 全てを夕闇につつまれていく刻に、そこだけがお伽ばなしのように自然からかけ離れて見えています。

 一生縁がない窓外の走り行く街々に生きる人たち。生きることのしんどさと感謝をホンの少し知る身は、見知らぬ人々の幸せをつつましく祈りながら、同時に何かに、赦して欲しいとも祈っているのでした。

 新潟から佐渡へ到着したときに海から空へ虹がかかるのを見ました。そして、山口から帰京するときに、静岡あたりで一瞬 虹が田んぼから空へかかるのをみたのです。それだけの事です。でも、それが、2010年の始まりの旅であったことが、私に勇気と確信を与えてくれたのです。

(リリック 東京・睦月)