Shingo Tokihiroのおしゃれ旅情

第六十五回
蒔かれた美の種と初めての舞台衣装


同窓生の計らいで実現できた衣装展(山口県・宇部市 ルナーレ)
 目を覚ましたら、薄絹のような雨の東京でした。この潤いの月は前半と後半に分けて、それぞれ二箇所ずつ美の種は蒔かれていきます。この原稿は後半、京都と敦賀の美の種プロジェクトのパフォーマンスの旅の前夜にしたためています。私もそうですが、周囲の誰もが口々に「忙しい、忙しい」と言います。それは・・・・きっと幸せなことなのですね。「自分の町に住む才能と共につくりあげ、その町にしか咲かない美の華を育て、自分たちの町に誇りをもつ」をテーマに始めた時広真吾「美の種」プロジェクト。その第一回目は生まれ故郷の宇部でした。ひとつのことを実現するために出会う人々や時間や場所。協力してくださった故郷の人々。衣装展に来てくれた同級生たちや初めて、宇部出身のデザイナーに出会った人々。もちろん、家族。決して大きな会ではありませんでしたが、故郷ならではの心温まるもので、私にとっても故郷との新しい繋がりを生むことになったのです。

美の種 IN 宇部 パフォーマンスリハーサル風景 ダンサー 石川左来子(山口県・宇部市 ギャルリー 小川)
 下関は204席が早いうちにSOLD  OUTになり、新聞等を御覧になり、チケットを求めてこられた方たちに、お断りをするという状態になりました。

 イベントをした人であれば誰でも経験しますが、動員は本当に大変な努力を伴います。まして、私のパフォーマンスは「どう説明してよいか分からない!」ものだから、そのご苦労は如何ほどだったでしょう。それでも、参加してくださるアーティストたちも、このパフォーマンスを楽しんでいる様子。それが、スタッフにも伝わり、観客にも伝わって、会場は本当に一つになったと感じました。最後の挨拶で「皆様、美の種のプロジェクト来年も御覧になりたいですか?」尋ねたら、会場から大きな拍手が巻き起こりました。実際、下関は来年6月の開催が、その日の内に決定したのでした。


私たちが育ち、若き日の両親が夢をはぐくみ沢山の思い出が詰まった店が再開発計画で更地になる。解体を前に記念写真。時代は移っていく


幼い頃から、工場の向こうに沈む夕陽を眺めては、未来を夢見ていた。その風景は今もあまり変わっていない

 山口での美の種プロジェクトを終え、東京に戻り、待っていたのは大衆演劇の舞踊の衣装でした。これまで、モダン、コンテンポラリーダンス、民族舞踊をベースにした創作舞踊などの衣装をデザインしたことはありますが、大衆演劇の舞踊の衣装と言われても、今ひとつ理解できません。以前、やはり大衆演劇から出てきた松井誠さんの衣装をやったことはありますが、その時はギリシアの古典悲劇「王女メディア」でしたから。今回は早乙女太一さんが2代目座長を務める劇団朱雀からの依頼でした。彼は私の話を聴いた後、「全てお任せします。」と一言。第2部の舞踊ショウの3シーンの衣装を制作することになりました。が、問題は時間!中旬に予定していた韓国行きをキャンセルして、打ち合わせと衣装チェック。小物を含め1週間で33着を用意したのです。お互いに馴れない雰囲気と、勝手の違うスケジュールの中でも変わらず誠実のやっていくことで、通じるものがあったのではと感じています。新しい出発でもあるという今回の公演に演出をする早乙女太一と時広真吾のコラボが上手く言ったかどうかは、幕が上がってから彼らのお客様の反応で決まるでしょう。


6月13日美の種 IN 下関の素晴しいパフォーマンスを終え打ち上げのあと、一人美しい夜景と潮風の関門海峡へ、光の塔は 海峡メッセゆめタワー
 きっかけを創る人。私はよく自分のことを人にこういいます。「お金にならないことをして」と心配してくれる友人もいます。プロジェクトの主催者までも、「何故、そこまでするんですか?」と尋ねてきます。荒んでいる世界だからこそ、「美」の力を信じたい。そして、人を信じたい。色んな土地を巡るとその土地その土地で別の時間軸や価値観の軸が存在していることを痛感します。でも、その奥に変わらないものがあるはず。私は特別なことをしているのではありません。自分でできることをしているのです。

 経済的な余裕があってやっているわけでもありません。「でも」と私は心配する親しい人たちに話します。「できなくなったら、その時のこと」。多くが経済的な心配とストレスの中で、大切なものを忘れているような気がします。

 「美の種のプロジェクトは時広さんのライフワークですね」とメールをくれた人います。そんな大それたことも思わずに、ふと、自然に始めようとして、それに応えてくれる人々がいるから実現しているこのプロジェクト。これからこのプロジェクトは、私を何処へ運ぼうとしているのでしょう。フィナーレで観客の温かい拍手を受けながら、この瞬間にも世界のどこかで悲しみ沈む人、孤独に耐えている人々へ、この拍手が人生のエールとなるように祈るひとりのデザイナーです。

(風待月 東京)