Shingo Tokihiroのおしゃれ旅情

第七十四回
久しぶりに旅のお話しと・・・

暮れなずむ揚子江
 8月5〜8日まで、中国へ行ってきました。それは私の衣装をコンサートで着てくださっている歌い手であり、ピアニスト、作曲も手がける吉岡しげ美さんから、「中国の鎮江市は七夕発祥の地のひとつで、毎年、そこでフェスティバルがあり、私は日中友好でツアーで行っているけど、時広さんに良かったら行ってみない?」という会話から始まったのです。それから、どうせなら、中国の二胡の演奏家、ダンサー、吉岡、青蓮の4人が時広衣装をまとい、「時広真吾の世界」と題して、パフォーマンスをやることになりました。

エンジュ村にある織姫、牽牛の像。当地の伝説では、2人は結婚して、子供を成してと、日本とは随分違う内容で。
 日本からは、大正琴と三味線のグループ、それから秩父歌舞伎の喜熨斗屋坂東彦五郎さんこと猪野直文さんが、弁天小僧の所作と台詞回しを中国の方々へ披露するもの。


金山寺(鎮江市)

千年古街(鎮江市)
 鎮江市への表敬訪問もありましたが、実際には、観光旅行にそのような特別プログラムが組み込まれたものでした。。  いつも、一人旅を常としている自分には、送り迎え、ホテル通訳、移動の全てがセットされていることが、何と新鮮で楽だったか。もちろん、自分なりの時間はありませんが、楽ということにおいてツアーはいいですね。旗をもつ添乗員や現地スタッフの後を団体で歩くことも、楽しかった思い出です。

 観光で訪れたのは、七夕伝説発祥のエンジュ村、丹陽望仙橋、金山寺、寒山寺、蘇州の運河、上海の豫園、玉仏寺、現代建築群に象徴される中国の経済発展をまのあたりにみせる外灘。


蘇州の運河、小さな観光船に乗って。ガイドの説明からは、2、3年のうちにこの辺りも再開発されるとか。

寒山寺の建物のレリーフは、少年の寒山拾得の2人。蘇州夜曲のイメージで勝手に山の上にあるお寺と思っていたら街中にありました。寒山は人の名前ですから納得はするものの。個人的には軽い落胆が。
 上海に到着し、欧米の街並みを見ているような窓外の風景は、私を少し疲れさせました。世界中、近代化するということは風景も均一化させてしまう。日本も同じ。観光地のしつこい物売りも、障害や子供を抱えて金銭を恵んでもらおうとする物乞いたちも、私が巡ったインドにもヨーロッパにも存在する。それが、都会であればあるほど、その悲惨さと彼らの知恵と凄まじい生への執着を感じてしまうのです。東京はホームレスはいるけれど、物乞いに出会ったことはこの頃無いなあと。それだけ、やはり、豊かなのでしょう。日本国は。

              閑話休題


上海の外灘 租界時代の建物が残る区域

上海の外灘 向かいは中国発展の象徴なのか、開発地域の摩天楼
 七夕フェスティバルの当日。午前中は夏の強い日差しにまさか雨にはならないでしょう。と、皆が信じていたけれど、現地スタッフは「台風がこちらに向かっていて、今夜、鎮江市にきます・・・・」

 案の定、午後から雨が降り始め、やがて叩きつけるような雨と風。稲光まで。「夜までには大丈夫でしょう。止むわよ。」と、何人ものメンバーは自分を納得させるように話しますが、雨は衰えを知らないかのように降っています。そのうち「雨男、雨女は誰なの」みたいな会話まででてきたりして。

 会場は野外、公園に設置された特設舞台で行われる予定。楽器演奏のメンバーは気が気ではありません。もちろん、私も衣装が濡れたら、汚れたらという心配がありました。リハーサルもなしのぶっつけ本番。


鎮江市の情縁七夕フェスティバルで、「時広真吾の世界」の一場面。向かって右から青蓮、ジャソウ(二胡)、吉岡しげ美(歌・ピアノ)
 結果は奇跡的に、台風が進路を逸れ、公演開始の頃には雨は止み、青蓮登場の時には、黒雲の中から「月」さえ姿を現したのでした。

 始めて中国を訪れたのが北京。1983年。それから、9年後に中国の友人に会いに再び北京へ。19年ぶりに再び訪れた中国・上海を訪れた私は、「衣装」という花束を抱えていました。青蓮と日本と中国の人々の心、嘘の無い繋がりを祈り願いながら、舞台をつとめました。変わらず美の力を信じて。

 その夜、5000人の観客が舞台を観ていたとマスコミは伝えていました。

(リリック・東京)